昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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人見知り三人衆の話

隣のオジサンは、御年82歳。
しかし80歳まで現役で働いていたし、クルマ道楽の彼は、昨年は奥さんに対して「今度こそ最後!」と約束して、トヨタクラウンの最高級車を購入した。
その車を駆ってほぼ毎日出かけているし、一週間に二、三度はゴルフに興じている。
もしもあの歳まで寿命があれば、あんな年寄りになりたいと思わせるほど元気だ。
しかしこの紳士には、妙な癖もある。
例えば彼が外出しようと玄関を出た時、僕が外で掃除でもしていると、すぐに家に戻ってしまうのだ。
僕だけでなく、妻にも近所の人にも同じ行動をとるので、別段僕を嫌っているわけではなく、要は、人見知りが強く、他人に挨拶するのが苦手なだけのようだ。
 
もう一人、30年近く行きつけの床屋のご主人も同じ性格らしい。
この人は、最近になって別居して実家に帰ってしまい、現在は離婚裁判の真っ最中だ。
普通は実家に帰るのは嫁さんと相場が決まっているが、ご主人は床屋を続けるのが苦痛らしい。
奥さんは、「元々、他人と喋るのが苦手の人だったので、嫌々仕事をしていたみたい」と話していた。
苦労して身に着けた技術を捨ててまで、他人と関わりたくないほど、人見知りが強い人もいる。
 
最後の御仁は、不肖私メ。
会社生活42年間の大半は、営業だった。
即ち、人に働きかけ、人に行動して貰う為に働いていたので、他人と喋るのが仕事だったが、実は大変な人見知りだった。
しかしリタイア近くなってカミングアウトしても、誰も信用しない。
周囲には、口八丁手八丁のお調子者と思われていたようだ。
しかしそれは、全てのケースで話のネタを事前に用意していただけであり、実は知らない人と喋るのは苦痛そのものだった。
そんな性格なので、他人との接触はできるだけ避けようとする。
 
今般も、姉の三回忌が催される。
姪っ子からは案内状が来たが、早々に欠席を連絡した。
すると妻から叱責を浴びる。
妻は、「このような催しはツキアイなのだから、例え行きたくなくても出席するべき」と主張する。
僕は、「お寺の都合の記念日に、知らない人と酒を飲むことが供養ではない」と言い返す。
要は、兄弟、家族だけならともかく、まるで知らない人までたくさん参加して、姉の思い出話をする場なんて御免被りたいのが本音だ。
 
僕は、故人を偲ぶのは、自分自身の心の問題だと思っている。
三周忌や七周忌に参加するのではなく、折に触れ故人を思い出し、故人の教えを実践することこそが恩返しと確信している。
実際に両親が死んで40年近い年数がたっているので、のべつ幕なしではないが、何かあると両親への感謝の気持ちを新たにしている。
 
それにしても、こんなに人見知りの性格で、よくぞ会社員生活を全うできたものだ。
改めて、こンな我が儘オトコをサポートしてくれた先輩、同僚、後輩に対しても感謝、感謝だ。