昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

悪口のルールとマナー

会社員にとっては、他人の悪口はリフレッシュ材。
しかし、中途半端な気持ちで、悪口を言ってはいけない
悪口には、ルールとマナーがあることを、しっかりと自覚しておいた方が良い!
 
僕も仕事の現役時代は、他人の悪口を言うのが趣味みたいなものだった。
先輩と「人の悪口を言いながら飲む酒は旨いな」などと言いながら、あれやこれやと月旦を交わす。
飲むほどに頭が冴えるような気がするし、他人の評価も、他人への悪口も精緻を極めてくる。
口角泡を飛ばしながら意見交換しているうちにグッドアイディアが浮かんで、何でも解決できるような気がしてくる。
こうなると、単なる憂さ晴らしと言うよりも、むしろ悪口には職場の触媒的機能があると思われる。
 
流石にリタイアすると悪口を言う相手もいなくなったが、それはそれで物足りなさを感じたりする。
今では、野党やマスコミ、「リベラル」と称する評論家どもの悪口三昧で、わずかに留飲を下げている。
長い会社生活の中で、いつの間にか悪口回路は僕のDNAの一部をとなったのかもしれない。
 
会社においては全く不思議だが、あれほど口を極めて罵り、次は殴ってやるみたいな勢いだった相手に翌日出会っても、まるで清々しく「おはようございます」と挨拶したりしていた。
昨晩の興奮と怒りは、まるでその場限り。
悪口を言うことで、ストレスの大半を発散していたのだろう。
 
種々雑多の人間が集まっている職場では、必ず複雑な人間関係が生じる。
だから、誰からも褒められる人物などいるはずがない。
ある人、あるグループに褒められるなら、別の人、別のグループからは貶される。
だから、悪口も褒め言葉もないのは、企業にとって存在感がないのと一緒だ。
こう考えると、職場の上司の重要な役割の一つは悪口を言われること、とも考えられる。
 
御多分に漏れず僕も、職場の悪口の常習犯だったが、それでも一点だけ注意していたことがある。
それは、その場にいない人を共犯者に仕立てないことだ。
 
自分の悪口を正当化したい場合、「実はあの人も同じだ」と、他人の名前を持ち出し、あたかも自分の意見が多数派だと言いたくなる。
ところが不用意に名前を利用された人にとっては、時として大迷惑を被ることがある。
実はその人は、悪口の場面に調子を合わせていただけだったり、別途に悪口の相手と特別な関係だったりするからだ。
また後に自分の悪口を言われていたと知った人は、首謀者の悪口は、仕事での意見の違いを認識しているから想定内としても、追随者には「アイツまで」と不快感を強めたりする。
 
いずれにしても、その場にいない他人を、悪口の世界に巻き込むのは宜しくない。
だから悪口を言う時は、絶対に他人の名前を利用しない。
自己責任の範囲にとどめ、結果も自分で解決することが、僕の悪口のルールとマナーだった。
お陰で、悪口を切っ掛けに人間関係にひびが入ったことはない。
誰にも知られていないが、そんな「悪口の達人」だったことは、僕の密かな自慢だ。