当方のような、ほんの些かだけど右寄り思考の人間にとって、マスコミの偏向報道ぶりには心底腹が立つ。
マスコミの報道を知ると、途端にストレス塗れになり、寿命が10年は縮まった。
日本に偏向マスコミさえなければ、もっと長生きできたのだから、巨額の損害賠償を請求したいとさえ思うほどだ。
しかし、それで勝訴しても、受け取った慰謝料を自分で使えないのが無念だ。
そんな訳で、間違いなく裁判には勝てる確信はあるが、今のところ隠忍自重している。
ところが、最近とんでもないことを口走っている、ヒダリ巻きがいることを知った。
コヤツは何と「マスコミの右への偏向ぶりがヒドイ」と、悲憤慷慨しているのだ。
バカ言っちゃいかんよ。
日本のマスコミの、どこが右に偏向しているのだ。
確かに産経新聞だけは、たまにだが、日本の野党に厳しい論調の記事を載せる。
しかし、当方が知る限り、産経以外の全ての大手新聞、テレビ局は、あからさまな野党上げ、与党下げ報道を繰り返してきたではないか。
具体的な例を挙げれば、キリがないほどだ。
それは、低俗なワイドショーだけではない。
事実だけを客観的に伝えているはずのニュース番組でさえ、画面の切取り、継ぎ接ぎで、与党、安部政権批判の印象操作が繰り返されてきた。
一体、彼らの報道の、どこを切り取れば、右寄りと言うのか。
と、あまりにバカバカしくて開いた口が塞がらない状況だったが、しかし、何故こんな勘違いが起きるのかを冷静に見て、「成程!」と思い至ったことがある。
実はほとんどの人間って、自分に都合が良い思考プロセスを経て、自分の期待する結論を引き出す癖(ヘキ)があるのだ。
マスコミ報道への反応も一緒で、内容が自分の思いと違うことが気に入らない。
だからアタカから「こんなはずはない」「これは間違った情報だ」と決め込む。
報道の正確さや客観性以前に、自分の思い、主張が優先されているのだ。
そしてそれを合理化するために、これまた自分に都合の良い情報を集め、更にそれを切り貼りして、無理やりにでも納得してしまう。
これはヒダリ巻きだけでなく、右側の人間にもある傾向だ。
確証バイアスの一種で、都合の良い話は一所懸命に聞くが、悪い話は端から無視する。
これを繰り返すことで、自分の意見がある方向に凝固まり、益々それだけが正しく、反対意見は間違いだと思い込む。
付き合う人たちも似た傾向の持ち主ばかりなので、グループとして全く同じ意見の集合体になってしまう。
そうすると、批判的な意見を聞くチャンスがなくなり、考えがドンドン純化していく。
しかし、これは危険だ。
十人十色、百人百様。
世の中の価値観は多様で、全く自分と正反対の考えを信じ込んでいる人たちが、間違いなく一定数は存在している。
いくら「世界中で共産主義は破綻した」と力説しても、「日本共産党だけは正しい」と頑なに信じている人が1~2%はいる。
「立憲民主党の言ってることは矛盾だらけ」と諭しても、「そんなことはない」と言い張る国民が3%もいる。
そんな連中が、自分たちの思い通りではないマスコミ報道を見て、「偏向している」と不満を言っているのだ。
「様々な経験を経て人は次第に大人になる」との美しい言葉があるが、あれは間違い。
ヒダリモ右も、人生経験を積めば積むほど、非妥協的な信念に憑りつかれる。
最近の例でも、サヨク室井佑月が「早く日本から出ていけ」と罵倒され、カっと来たのだろう、「どっちが要るか皆さんに判断して貰おう」と威勢よく啖呵を切った。
ところが電子投票の結果は、案の定、室井は大惨敗で大恥をかいた。
九割が「ムロイが出て行け」だったのだから、笑ってしまう。
これなど室井が、少々でも世間を知っていれば、防ぐことができたチョンボだ。
被害者意識で妄想している、ヒダリ巻き連中のみっともない姿は、反面教師でもある。