アメリカで火が付い黒人差別反対デモだが、その影響がイギリスにも及んだ。
イギリス・ブリストル市で、奴隷商人エドワード・コルストンの銅像が引き倒され、海に投げ捨てらた。
そもそも日本人には、奴隷商人なる存在そのものの馴染みが薄い。
日本でも、人買いとか女衒とか、人間を売買する仕事はあったが、それはあくまで極めて少数の例外的存在だった。
しかし奴隷、特に黒人奴隷売買は、外国では大々的にビジネスとして成立していた。
そんな中で、ミスター・コルストンは
・17世紀に奴隷商人として巨万の富を得た
・多額の資産をブリストン市に寄贈したボランティア精神溢れた人物
・ブリストル市には、コルストンの名がついた建物や道路が多数ある
人物らしく、その業績には賛否両論あるようだが、今迄は少なくとも一部の市民からは尊敬され、有難がられていた面があるようだ。
それなのに、アメリカの差別問題の飛び火で、銅像が海中に投棄されるとは、あの世の本人だけでなく、コルストン家や遺族にとってはやるせない思いだろう。
善悪の価値観は、時代と共に変わる。
奴隷の存在も然りだ。
その昔、世界中には奴隷、若しくは奴隷のような環境を強いられた人たちは、それこそごまんといたし、戦争で負けた種族は、奴隷として働かされるのが常だった。
農奴もそうだし、中国の奴婢だって、奴隷と同じ扱いだった。
農地解放以前の日本の地主と小作人だって、似たような関係だ。
世界中が、奴隷の存在を認めていた時代があったのだ。
現代では、人権が強く意識されている。
差別だけでなく、ブラック企業などの働かせ方、働き方にも注意が払われる。
しかし、そんな時代の考え方で、昔の価値観を否定して良いモノだろうか?
コルストンは、現在では許されないビジネスで財を成したオトコだが、17世紀時代の奴隷商人は、後ろ指を指をれるのではなく、善意の篤志家扱いだった。
アルフレッド・ノーベルは、自分の発明したダイナマイトが戦いに使用され、多くの人命を殺めたことを悔いて、その贖罪意識からノーベル賞を設立した。
現在では、世界中の医学者、科学者にとって、ノーベル賞受賞は最大の名誉であり、憧れになっているし、平和賞狙いの政治家まで登場している。
このノーベル賞と、奴隷商人エドワード・コルストンの善行と、何がどう違うのか。
過去の悪行を今の価値観で裁くのなら、歴史上の偉人たちの大半が罪人になる。
現にアメリカ大陸を発見したコロンブスの銅像も、毀損される動きが出ている。
ネイティブ・アメリカン、いわゆるインディアンを虐待したとの理由からだ。
そんなこと言い出したら、アレクサンダー大王だって、チンギス・ハーンだって、ナポレオンだって、みんな外国と戦って領土を保全したり拡張した武将だが、その過程では多くの敵兵を殺している。
韓国は日韓併合を、日本による植民地支配と難癖をつけるが、あの時代は西洋列強が挙って、海外の植民地争奪戦を繰り返していた。
しかも日韓併合は、韓国を植民地にしたのではなく、日本の一部に組み込んだだけだ。
韓国は今になって、日本は悪逆非道だと文句を言うくらいなら、当時、列強の餌食にならざるを得なかった、李氏朝鮮の治世を反省するべきなのだ。
歴史は、反省することはできても、やり直しは利かない、
当時精一杯に生き延びた先達を、今の価値基準で良いの悪いのを判断すると、今迄積み上げた全歴史を否定することになり、それは歴史に学ぶことではない。
却って、人類の歴史に対して、傲岸不遜な態度をとることになる。
17世紀に奴隷商人エドワード・コルストンのやったことは、今の価値基準では決して褒められたものではない。
しかしそれは、人間が400年近くかかって到達した考えなのだ。
コルストンの銅像を否定したいのなら、民主主義の手続きに則って撤去すればいいのであって、これ見よがしに海中に捨て去るのは、幼稚なヒロイズムでしかない。