昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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日本古来の文化がピンチ

日本では、「ついたて」は「これ以上は立ち入り禁止」を意味している。
日本人は、そこに「ついたて」があるだけで、必ずその前で立ち止まり、それ以上進むためには承諾が必要である事を知っている。
美しいデザインの「ついたて」一つで、無粋な「OFF LIMIT」なる張り紙は不要なのは、日本の美しい習慣である。
以心伝心でお互いを思いやる文化であり、自分の価値観を押し付ける為、平気でズカズカと他国に兵を送るアメリカ人には絶対にわからないだろう。

日本人は、プレゼントを贈るときは「つまらないものですが」と謙るが、謙遜は海外では通用しない。
また、日本人は露骨さを嫌うので、頂き物をその場で開けてしまうのは非常識と思っているが、アメリカでは皆の前で公開するのがマナーとなっている。
「皆さん、私はこんなに素敵な物をいただきました」と紹介すると、全員が大げさに「ウァー、ステキ!」みたいなセリフ(もちろん英語)で一斉に祝福する。
しかも、アメリカ人は紙袋をそっと丁寧に開けるなんてデリカシーはない。
モロに、力任せに破ってしまう。

感情をじっと押し殺し、謙虚に生きる事が美徳の日本文化に慣れた我々は、露骨に表現しなければ「何を考えているのか分からない」と不気味に思うアメリカ文化を理解する事は難しい。
逆に、どんなに辛い事があっても、静かに微笑みながら耐える日本人を、悲劇に遭遇すると大声で泣き叫ぶアメリカ人は理解できないらしい。

しかし、グローバル時代の国際標準は、いつの間にかアメリカ型となってきている。
会社でも、プレゼンテーションの能力で昇級が決まったり、妙に割り切った思考法が、大胆で合理的と信じられ始めている。
従来からの「中庸こそ最善」等と発言すると、すっかり抵抗勢力扱いを受けてしまう。

何かがおかしい。

グローバルスタンダードなんて、デリカシーが欠落したアメリカの陰謀ではないか。
アメリカ人は、自分の思考法しか理解できないので、あらゆる手段でグローバル時代を喧伝し、後は力任せに世界中を蹂躙するつもりではないだろうか。
そして、このアメリカに対抗できるのは、相変わらず中華思想に凝り固まった中国、人口爆発を躊躇しないインド、資源大国で帝政復活のロシアなどの、したたか極まりない国々のような気がする。

わが愛する日本は、美しく奥床しい文化を自ら捨て去り、すっかり骨抜きになっている。
国際化と煽てられ、あまり自虐的に自己否定を続ければ、弱肉強食の世界では踏み台にされてしまう。
世界中のどこでも、自国古来の文化を誇れない民族が尊敬されることはない。