昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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美しい日本語「おかげさまで」

日本語には、大変奥床しくも美しいモノがある。
「おかげさまで」は、その一つだろう。
病気上がりの時に知人に会うと、「体調はどう?」と質問される。
その時には、大半の人は「おかげさまで、ありがとう」と答える。
聞く方は、「この人、ある程度回復しているな」と思って質問しているし、答える方も何か根拠があっての発言ではない。
一種の八百長会話なのだが、双方に他人への思いやりが籠っていて穏やかな気分になるものだ。

英語では「Thank you for your kindness.」「Thank you for your question.」と、感謝の対象が具体的だ。
その点、我が日本語の「おかげさまで、ありがとう」は、何に感謝しているのかが全く分からない。
字面どおりに理解すれば、「貴方のサポートのおかげで、病気が治りました」なのだが、難しいのは、なんら貢献していない人に対しても「おかげさまで」を連発する。
一種の枕詞にも近い。
しかしこれこそ、日本人の特性であり、日本語の麗しさだと思う。
我々日本人は全く無意識にだが、自分が様々の人の支援、様々な神様の庇護の下に存在している事を認識している。
「お天道様が見ている」もこの典型的な言葉で、誰もいないからといって悪さをしてはいけないと教えられている。
目には見えない、不特定多数の対象への畏怖と感謝の念は、日本人特有のメンタリティーだ。

グローバル時代の今日では、常に目標を具体的に数値化する事が求められる。
「おかげさまで、事業は順調です」などの抽象的表現では、全く納得してくれない。
好不調の原因究明と、対策立案が要求され、目標値とスケジュールを数値化する。
海外では、このような事例が当たり前のようだが、実に殺風景だ。
コンプライアンス教育で「お天道様が見ているから、悪さはしません」等と言おうものなら、ヤル気がないと看做されるか、変人扱いされるのがオチだ
しかし何にでも合理的で納得できる原因究明と対策を求められると、進退窮まった場合には嘘の言い訳や、実現不可能な目標を立てたりする。
法律や規則で縛り付けると、ワルは必ず抜け道を探し出す。
それよりも、日本人の持つ感謝の思いや自己規制の方が、よっぽど効果的なはずだ。

確かに一人称はI、二人称はYouだけの英語に比べ、日本語には多数の一人称、二人称があり、その各々にニュアンスの違いがある。
日本人は、それを実に巧みに使い分けながら、自分の微妙な思いを伝える。
そんなデリケートな民族の思いは、「合理性こそ最重要」と機能最優先の蛮族たちには理解不能だろう。

何でも「おかげさまで」で片付ける日本人の生活の知恵は、共通の価値観を持つ日本人同士しか通用しない。
グローバル時代の到来で、肌理の細かい日本の素晴らしさは段々に肩身が狭くなっている。
それでも少なくとも日本の国内では「おかげさまで」と、感謝し、感謝される風潮が長続きすればいいなと思う。