昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

愛人を囲う人、愛人になる人

中国の高級官僚は、愛人を囲うことがステータスらしい。
社会問題化していると言うから、単に「アンタもスキねぇ」では片付けられないようだ。
習近平新政権は、腐敗撲滅を標榜しているが、そもそも共産党政権が最初に手を付けるのが、高級官僚たちの綱紀粛正と言うのだから笑ってしまう。
中国の成功者、成金は、悉く中国共産党員だから、若かりし頃には理想に燃えていたと思われる。
社会の矛盾を解決する為に身を捧げる覚悟で共産党に入党しても、権力を掴んだ瞬間から、人間は堕落し始める。
世界中で共産主義を標榜した国家の末路は、判で押したように同じ軌跡をたどる。
トップは自分の地位を守る為にライバルを抹殺し、中間管理職は、収賄汚職、職権乱用を繰り返し、不正蓄財に勤しむ。
そんな実態を隠す為に、国中に秘密警察網を張り廻らせ、徹底的な言論弾圧で体制維持を図るが、最終的には国民に愛想を尽かされ、それまでの悪事を必ず暴かれてしまう。
これこそ共産主義が空虚な理想主義、観念論でしかない事を証明している。

愛人に関しては、別段中国共産党員だけが専売特許で囲っているわけではない。
我が日本でも昔から「浮気はオトコの甲斐性」とかの勝手な理屈で、愛人の存在を、さも自慢気に吹聴する人もいた。
自慢まではしないが、周囲が愛人の存在を認め、むしろその愛人に認められる事が立身出世の早道と、積極的にアプローチする輩も出てくる。
田中角栄全盛時代に、「悲しき越山会の女王」と称された愛人がいた。
当時の「田中派」連中は、この愛人を「ママ」と呼び、物品の届け物で気に入られようと努力していた事は知れ渡っていた。
日経新聞の元社長も、愛人の存在が公然の秘密だったし、三越の元社長も、愛人が社内人事を壟断していたというから何をか言わんやだ。
ある映画会社社長は、有名女優が愛人と非難され、「愛人を女優にしたまで」と切り返した。

政治の世界でも、会社でも、トップの地位を手に入れる為には血みどろの権力闘争を勝ち抜かないといけない。
その闘いの憩いの場として愛人が必要なのか、はたまた権力を手に入れた証として愛人を求めるのか、とにかく歴史上では多くの有名愛人が語りつがれている。
豊臣秀吉の愛人、淀君は、天下分け目の戦い、関ケ原の原因を作った。
この辺の愛人は、オトコを見る目もあったし、オトコを通じて自分の野心を実現しようとする覇気もあったようだ。
そんな大物愛人に比べると、中国で問題視される愛人たちは、手っ取り早く「裸官」と言われる腐敗官僚に取り入り、貢がせた自分の派手な生活振りをブログで自慢気に披露してみたり、ロサンゼルス近郊の愛人村をバブリーに闊歩しているが、誰からも尊敬されないし、むしろ白眼視される。
言わば、超小物ばかりだ。
しかしそんなくだらない愛人の存在でも、隣国中国が抱える大矛盾を露呈し、社会不安を引き起こしている。

イスラム圏では、合法的に四人まで妻帯出来る。
一見、一夫一婦制社会の男性からは「羨ましがられる」が、実態は大変らしい。
マレーシアで会ったムスリムは、イスラムの教えに沿って妻が四人いたが、全員を公平に扱わなければならないので、身も心もくたびれ果てると嘆いていた。
しかも、年齢を重ねるに従い扶養家族が増え、経済的負担がドンドン厳しくなるが、体力は衰えていく。
四人の嫁さんの住まいを梯子して回るのは苦行そのもので、精力も財力も満ち溢れていないと安寧平和な家庭生活にならないものらしい。

日本では、愛人の存在は「不倫」と位置付けられる。
文字通り、倫理に悖る行為なのだが、オトコどもはチョイ悪への憧れから、良からぬ妄想を抱く。
愛人なんてまるで縁遠い存在の当方は、この辺は小説で読んだり、他人の話を聞いた事から推測するしかない。
しかしごくフツーのご同輩にとっては、分不相応な愛人なんぞを望むより、先ずは地道に家庭円満を目指すべきだ。
実はそれだけでも大変だし、結構難しい。