昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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戦争には絶対反対だけど................

田原総一朗は、戦争中熱烈に皇国史観を教えていた教師たちが、戦後になると手のひらを返したように民主主義を礼賛した事に驚き、「偉い人の言う事も信用できない」と悟った幼児体験があるらしい。
戦争の愚かさ、欺瞞性を痛烈に批判、「戦争は絶対やってはいけない」と力説していた。
田原総一郎は、日本は負けると分かっていたのに、何故太平洋戦争に突入したのかと、当時の軍部、政治家を強く批判していた。

当時の政治家、軍人の見識の浅さに比べ、昭和天皇人間性を対比して、実は太平洋戦争が日本の敗色濃厚になった時点で、最も終戦を望んでいたのは、昭和天皇だったとも主張していた。
しかし、昭和天皇は軍部に利用された被害者との見解は、如何なものだろう。
僕は、この辺を深くは勉強していないが、天皇の名前で開戦し、国民に天皇の為の死を強制したのだから、昭和天皇には戦争責任はあるだろうと思っている。
ただ今更、天皇の戦争責任を問題視する連中は極めて少数派だし、また天皇が再び戦争の当事者になる事なんか、絶対にありえない。
戦後の日本全体は、戦争反対一色になっている。
このディベートに参加していた他のパネラーも、戦争に関しての見解は似たり寄ったり。
最終的に戦争に突入した、戦前の日本の無茶、無謀を、口を極めて批判していた。
一人、元産経新聞記者の山際澄夫だけは、「日本は諸外国の経済封鎖で戦争するよう仕向けられた」と謀略史観を披歴していたが、多勢に無勢。
持ち前の声の大きさだけでは、劣勢を覆せず、周囲から呆れ果てられていた。
太平洋戦争は日本に壊滅的打撃を与えたので、田原総一朗ならずとも、戦争を肯定する日本人なんぞ、先ずはいないと断言できる。

しかし評論家連中が口を極めて戦争反対を唱えても、だからと言って戦争がなくなる訳ではない。
ごく最近では、化学兵器を使ったシリア内戦が問題になっている。
政府軍と反政府軍の双方が、「相手が化学兵器を使用した」と非難し合っているが、お節介国家のアメリカは、「化学兵器使用は許せない」と介入するようだ。
シリア内戦では、既に10万人以上が死亡しているのだが、普通の爆弾ならやむを得ないが、化学兵器だけは許せないと力み返るアメリカの姿勢は、何とも分かり難い。
いずれにしても、シリアでの戦争を収める為に、新たな戦争を仕掛ける。
残念ながら、単に戦争反対と叫ぶだけでは、絶対に戦争はなくならない。

戦争をやりたくて仕方がないとか、戦争そのものに大賛成するとか、そんな人物はよほどの変人以外にはいない。
誰もが、戦争は悲惨な結果しかもたらさないので、何としても避けるべきだと考えている。
しかしそれでも、世界中で戦争の悲劇が後を絶たない。
人間の価値観は様々であり、経済だけでなく、国家、宗教、民族が絡んでくると、話し合いで解決できない難問題が山積みになる。
話し合いで解決できなければ、自分の正当性を訴えるには武力で相手を威圧するしかない。
こうして、今でも多くの地域で、人間同士が血を流して戦っている。
こんな状況で、「戦争は止めよう」と声をかけても、全く何の解決にもならない。
クラウゼヴィッツ戦争論で語っているように、「戦争とは政治的行為の連続体」であり、この政治問題の最終解決手段が戦争なのだから、揉め事を解決しようとすると、戦争に至る可能性は否定できないのだ。
世界中に揉め事がある限り、どこかで毎日のように戦争が発生する。
戦争を止める為には、戦争に勝たなければならない。
これが世界の実態なのだ。

最近、「尖閣喪失」なる本を読んだ。
尖閣列島を中国が不法占拠、しかし中国に対して日米安保条約を発動するはずのアメリカは、中国からアメリカ国債を売り浴びせると脅され、見て見ぬ振りをする。
結果として、進退窮まった日本国総理大臣にして軍事おタクの「石橋茂」は、大所高所から尖閣列島放棄を決めるとの物語だ。
北方領土をロシアに、竹島を韓国に、そして尖閣列島を中国に奪われてしまうが、日本が長年に亘って頼みの綱と信じてきたアメリカは、対中国では全く信頼出来ない国なのが分かり、日本人が独自に国土防衛の意識を持った事だけが、尖閣列島を失った日本が得た唯一の成果だと書いている。

攻めてくる国を相手に、戦争を避ければ領土を失う。
戦争に負ければ、その後にいくら理を尽くして説得しても、国際的には自分たちの正当性も失われる。
中国も、韓国も、北朝鮮も、同じように戦争を放棄しない限り、日本を守る為の武力は放棄できないのだ。
戦争反対のお題目が、国を救ってくれるわけではない。