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清原和博の覚醒剤と刺青

世の中、清原和博覚醒剤問題で大騒ぎだ。
プロ野球界の元大スター選手、清原が覚醒剤に溺れていたのだから始末が悪い。
 
子供の夢を壊したとの意見もあるが、果たして清原は、それほど美しい存在なのだろうか?
あの風貌やファッションは、どこからどう見ても、その道の人物にしか映らない。
PL学園野球部時代と、引退後の顔の違いを見れば、彼が真っ当な道を大きく外れてしまったのは一目瞭然だ。
「清原は野球に純粋なナイスガイ」とか「清原は礼儀正しい」とか、バカげた擁護論があるが、報道によると野球選手の現役時代から覚醒剤に手を染めていたらしい。
もしもそうなら、彼の輝かしいプロ野球選手としての業績も、あるいは数多く寄せられている好意的な見方も、全ては覚醒剤のなせる業と思わざるを得ない。
さすがに覚醒剤については、さすがに誰も清原の側に立つ人間はいない。
 
しかし刺青となると、話が変わってくる。
日本人の大半は、刺青への拒否感が強い。
ヤクザまがいの立ち居振る舞い以前に、脛足に施されているだけでなく、背中一面に彫られていると噂される刺青が清原の印象を更に悪いものにしている。
清原は将来、野球監督になる夢があるようだが、刺青をしているだけで、その道が厳しくなるとの意見も多い。
 
しかし中には、刺青はファッションの一部だと、肯定的な意見もある。
FCバルセロナの世界的名サッカー選手、レオネル・メッシもまた、最近腕に見事な刺青を入れた。
実際に海外では、刺青を施したスポーツ選手は五万といる。
しかしそれはあくまで、刺青に寛容な海外だからの話だ。
日本ではこうはいかない。
 
その理由は、大きく二つあると思う。
一つは、刺青が日常と非日常を分ける、極めて分かりやすい現象だからだ。
日本には昔から、刺青をしたのは渡世人とか、島流しに合った罪人との見方が強く、刺青を入れただけで、堅気の衆とは明確に一線を画していた。
二つ目が孝経の「身體髪膚、受之父母、不敢毀傷、孝之始也」との教えの存在で、親から受け継いだ体を、無闇と毀損してはいけないと強く刷り込まれている。
日本ではあくまで刺青は、アブノーマルな風習なのだ。
 
更に問題なのは、日本の場合多くの場で、刺青を入れているだけで行動が制約されることだ。
その為に、多くの人が刺青を後悔することになる。
しかし今の医療技術では、完全に刺青を消し去ることが出来ない。
また刺青をすると、皮膚呼吸が難しくなるらしく、肝臓機能とかに障害が出ると、元山口組の大物幹部、後藤忠政が、自叙伝「憚りながら」の中で書いていた。
 
しかしこれは個人の嗜好の問題だから、後になって後悔しない覚悟があれば、他人がどうのこうのと言っても、刺青をやりたい奴はやってしまう。
「馬鹿に付ける薬はない」と、あきらめるしかない。
清原もこの手の人間に過ぎないのだが、彼の場合は「刺青は子供のころからの夢だった」らしい。
と言うことは清原は、その昔から特別の感性の中で生きてきたことになる。
そんなオトコが、一旦覚醒剤に溺れたとなると、もはや更生することはありえないとまで思われる。
 
タレント仲間たちは、テリー・伊藤とか大田光が、清原の社会復帰に期待していた。
しかし、薬物依存の更生率は、四分の一以下だ、
普通の更生施設では、到底面倒を見切れるものではない。
もしも彼らにそんな殊勝な気持ちがあるのなら、清原を引き取り、二十四時間体制で監視し、指導しなければならない。
そんな自己犠牲を厭わない気持ちが継続しない限り、生半可な同情論は却って、覚醒剤の恐ろしさを軽んじてしまう結果になる。