昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

俳優にも歌手にもなりたくなかったオトコの話

最新のNHK大河ドラマの主人公は、澁澤栄一らしい。

澁澤栄一は、新一万円札の肖像画らしいが、名だたる日本偉人の中では地味な存在だ。

このドラマで、澁澤の存在を初めて知った人も多いはずだ。

 

その澁澤を演じているが、若手俳優吉沢亮だ。

彼は同じNHKの朝ドラ「なつぞら」で、主人公なつの幼馴染、天陽君を演じて一躍注目された(らしい)。

女性には人気沸騰らしいが、朝ドラなど興味のない僕は、全く知らなかった。 

 

ところが僕の周辺から、僕の若いころを彷彿とさせるとの声が上がってきた。

空耳だったかもしれないが、そんな噂話を聞いた気がする。

なかなか説得力のある話だが、そんな吉沢亮に似ていた(はずの)僕は、それでも俳優になろうと思ったことは一度もない。

世間には「宝の持ち腐れ」と、惜しがる声も多かった(かも知れない)。

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限りなく自画像に近い(はず)


 

しかし僕には、俳優と言う職業への違和感、拒絶感が強くあり、俳優になりたい奴の気が知れないとまで思っている。

それは元々の俳優と言う職業が「河原乞食」と差別されていたからではない。

むしろ現代の芸能界は若者の憧れの場で、歌手や俳優は「タレント」と称賛される。

実際の「アイドル」など、実はブラック企業にこき使われる使い捨て商品だ。

それでもちょっと見栄えが良かったり、歌が上手い連中は、芸能界入りを夢想する。

 

僕がこんな連中に懐く違和感は、彼らが他人に憑依することを生業とするからだ。

人間には、もって生まれたDNAに育った環境が加わり、そこから個性が生まれる。

それこそ他人との差別化の部分であり、自分が自分であるためのアイデンティティだ。

ところが俳優は、生まれも育ちもまるで違う人間を演じなければならない。

そしてその赤の他人になり切ればなり切るほど、名演技を言われ、名優の評価を得る。

そんなことを繰り返していると、元の状態に戻るのに苦労し、自分を見失ってしまうのではないか。

俳優に常識なしや変わり者が多いのは、決して偶然ではない。

 

実はこの俳優たちは、カメラに向かって演技をする。

共演の役者を相手に、迫真の演技をしているのではない。

全く無機質の、カメラのレンズに向かって話しかけ、喜び、微笑み、怒り、涙しているのだ。

しかも物語に沿って、順序だてて撮影しているのではない。

作品は「カット、カット」のぶつ切り場面を、後で編集でつなぎ合わせて作り上げられている。

場合によっては、多くのギャラリーに見られながら、カメラに向かって台詞を喋り、喜怒哀楽を表現しなければいけない。

到底真面な神経の持ち主には耐えられないほど、日常の生活からはかけ離れた作業だ。

傍から見れば、まるで異様なはずだ。

 

観客を前に歌う、歌手もまた似たようなものだ。

自分ではファンに歌いかけている積りかもしれないが、実際は不特定多数の人間に向かって、大声を張り上げているに過ぎない。

しかも自分の経験には程遠い歌詞でも、感情移入して謡わないと感動を呼べない。

しかし、実体験でもないのに、どうすれば歌詞の内容を理解して、他人の想いを聞き手に伝えることができるのか。

ここでも役者同様、歌詞の中に憑依することが必要になり、その度合いが強ければ強いほど、歌が上手いと評価される。

 

俳優も歌手も、精神を酷使する肉体労働のようなものだ。

現代の若者が何故、あんな職業に憧れるのか、僕には理解できない。

決してブ男で、歌が下手だったから諦めたのではない。

「天賦の美貌」と「天使の歌声」の才に恵まれているはずの僕だが、芸能人にならなくて良かったと、しみじみ述懐する日々を送っている。

「我ら」が文在寅に支援の手を

外交の「天災」、経済王と持ち上がられ、就任直後は90%近い支持率を誇った韓国反日のシンボル文在寅が、共に民主党から見放されているらしい。

しかも韓国大統領の末期は、大方刑務所送りか非業の死となる。

あれほど韓国民の期待を一身に集めていた文在寅だが、来年の大統領選の前哨戦、ソウル市長選、釜山市長選の両方で見るも無残な大敗を喫した。

これでは来年の大統領選で、文在寅を保護してくれる後継者が当選する確率はゼロだ。

 

誰がこんな事態を予想できただろうか?

答えは、誰もが予想していた!

 

何よりも、言っていたこととやったことの違いが激しすぎた。

保守派を追放して政権の座に就いた途端「他人なら不倫、自分ならロマンス」を地で行く見事なまでのダブルスタンダードを繰り返した。

韓国人が最も反発を覚えるのが

 ・不正な土地取引で蓄財する

 ・不正手段で学歴を取得する

 ・立場を利用して兵役を忌避する

ことらしいが、文在寅とその側近は、これを全部揃って仕出かしてきた。

玉ねぎオトコとその家族の不正、玉ねぎの後継だった法相もまた、息子の兵役でスルをしていた。

文在寅自身も、農地を格安で購入した後の地目変更で大儲けしただけでなく、子供たちが不動産投資で蓄財したことがバレた。

ローソクデモの結果、清廉なイメージで大統領になった文在寅が、カネ塗れ、権力塗れだったのだから、韓国民の失望は大きい。

 

文在寅の外交も、全部失敗した。

特に執念を燃やした南北融和は、シンガポールでの米朝会談をセットした時がピーク。

しかしそこで、文在寅米朝の各々の国に話していたことと実態が違い過ぎて、会談が不成功の物別れになってしまった。

中国以外の国には行かない金正恩が、米朝会談に期待してシンガポールまで赴いた分、失望感も強く、それ以降は北朝鮮文在寅への信頼はゼロになってしまった。

そんな文在寅が、今後の一年間の起死回生策として南北融和を掲げても、北朝鮮が相手にするわけがない。

 

米中対立は、その両国にいい顔をしたい文在寅の思惑を根底から壊している。

英語でバランサーなどとカッコつけているが、その実態はどっちつかずの蝙蝠外交。

結果としてその両国から信用を失墜し、ここでも相手にされなくなった。

 

最後の頼みの綱は、反日カードだ。

文在寅は日韓慰安婦合意を反故にし、新たな応募工判決で日本資産を押収し、何かと因縁をつけて日本からカネをむしり取ろうとしてきた。

しかしいくら仕掛けても、日本側が反応しない。

押収した日本資産の現金化で脅したが、逆に日本から「やったらひどいことになるぞ」と脅され、進退窮まっている。

「日本にボールがあり、韓国はいつでも話し合う用意がある」と秋波を送るが、日本は全く動かない。

鳴り物入りで始めた日本製品不買運動も、いつの間にか尻すぼみだ。

日米中北朝鮮の四カ国全てに無視されてしまった文在寅は、韓国民からも見放された。

 

斯くなる上は、日本の大先輩、菅直人に学ぶしかない。

菅直人も、政権末期は四面八面十六面楚歌状態になった。

味方の民主党からも内閣不信任案決議を出されそうになるほど、信用がなくなった。

この時菅直人は、太陽光発電法案を置き土産に辞めると前任者の鳩山由紀夫を騙して不信任案を取り下げさせ、そのまましばらく居座った。

文在寅菅直人くらいは面の皮が厚く、恥も外聞も気にしない権力欲だけのオトコなので、厚かましく後一年くらいは何とか生き延びることができるだろう。

 

その間に、海外脱出の道を模索することだ。

大統領職を辞して韓国に残れば、半年以内に逮捕され投獄されることは間違いない。

今迄の先輩大統領がそうだったし、文在寅の場合は叩かなくても誇りが舞っている。

しかも次の大統領が保守派になれば、今まで北朝鮮のために便宜を図ってきたことが裏目に出て、国家反逆罪として咎められるかもしれない。

その場合は。死刑判決だってありうる。

だから未だ大統領職にある間に、ある日突然海外に亡命することだ。

 

その場合、韓国の追っ手から文在寅を保護してくれる国は、ほとんど存在しない。

文在寅の本音は、敬愛する北朝鮮金正恩様と金与正様にかしずき、お仕えしながらの老後生活だろうが、この両者からの受けが悪い。

勿論二股をかけてきたアメリカや中国から保護されることは期待できないし、日本に至っては石を投げられるのがオチだ。

消去法で行けば、ロシアくらいしか残っていない。

 

今からの文在寅は、まるで希望がないイバラの道だ。

文在寅の窮地は身から出た錆ではあるが、とは言え、日韓関係を後戻りができないほど悪化させた、日韓政治史に残る政治家だ。

日本人の文在寅への嫌悪感が、長らく日本人を支配してきた韓国への贖罪意識を払拭する切っ掛けになったのだから、日本にとっては大功労者との見方もできる。

日本人の間に、かってないほど嫌韓意識を高めさせた功績は、永久に不滅だ。

「憐憫の情」が湧いてきて、大笑いしたくなる。

コムロ君を救う窮余の一策

どうも、小室圭君の評判が悪い。

数日前に大論文を発表し、一気に「名誉挽回汚名返上」を画策したはずなのに、裏目に出て「名誉返上汚名挽回」してしまった。

 

世間で「コムロ案件」とか「コムロ禍」と揶揄されたレポートだが、確かにどう贔屓目に見ても、唐突感が否めなかった。

何せ二年間、世間のバッシングにひたすら沈黙してきたのだ。

それが、満を持して「状況を説明したい」と、28ページにも亘る説明文を公にした。

本人としては、これで一件落着、後は粛々と結婚へと進む目論見だったのだろう。

 

ところが意に反して、このレポートが悪評芬々なのだ。

特にコムロ君批判の急先鋒、竹田恒泰氏は手厳しい。

自分の「竹田チャンネル」で、三回に分けて木っ端みじんに批判した。

竹田の言い分は、

 ・長いだけで、全く内容がない

 ・「なぜこの時期に」との疑念がぬぐえない

 ・今迄は沈黙が得と判断していたが、今回は喋った方が得と考え直しただけ

 ・損得勘定しかしないオトコ

 ・天皇のお言葉への思いが全く書かれていない

 ・今となっては、借金か貰ったカネかなどどうでもよい

 ・一番の問題点はKKの人間性

 ・ひたすら裁判用語で「借金ではない」と繰り返す異常さを感じる

 ・こんな男が将来の天皇の義兄になるなど許されない

 ・仮に弁護士になれても、これでは顧客が来ない

と、ボロクソコメントを連発してた。

 

実際にネットで調べる限り、このコムロ君に同情的な意見は皆無だ。

朝日新聞系列のAERAのアンケートでは、結婚に反対が97,6%にも及んだ。

要は支持者は、100人に3人もいないのだ。

立憲民主党の支持率だって、4.5%はある。

コムロ君の結婚への支持がそれ以下となると、天皇秋篠宮殿下が希望されている「皆さんに祝福される結婚」からは程遠い。

 

しかもコムロ君はわずか四日後に、その主張を一変させた。

竹田が言う「6万字にも及ぶ駄文」で縷々主張していた「借金ではないので、解決金での示談もあり得ない」はずが、一時金を支払う意思を示したのだ。

これは、朝令暮改の度が過ぎる。

大論文を批判していた連中も拍子抜けの体だが、今度はその豹変ぶりを攻撃している。

何をやっても、コムロ君の好感度は上がらない。

 

何故こんなことになってしまったのか?

婚約発表直後のコムロ君は、好感度抜群だった。

梅村富美男などは「よくぞこんな若者がいてくれた」などとべた褒めだったほどだ。

ところがその後、複雑な家庭環境が明らかになり、暗雲が立ち込め始めた。

とどのつまりは、母親の婚約者からの借金問題だった。

コムロ君は、最終的には破局した母親の元婚約者から学費や生活費を援助されていて、その金が貰ったものか借金かで揉めてしまった。

 

 ・複雑な家庭環境

 ・母親の元婚約者の存在

 ・借金問題の揉め事

 ・コムロ君には定職がない

 

しかも肝心の母親が、いかにも押しが強そうな太々しい雰囲気の写真を撮られる。

これだけ材料が揃えば、週刊誌ネタには事欠かない。

あることないこと、面白おかしく騒ぎ立てられ、その度に印象は悪化していく。

そんなゴシップ塗れになったために、カネに汚い親子のイメージが定着してしまった。

 

日本国民が、この結婚を祝福しないのは、結婚準備金として1憶4千万円近い税金が投入されるからだ。

守銭奴とも思われてしまった親子が、濡れ手に粟のように税金をせしめることに、違和感と不潔感を持つからだ。

 

だからコムロ君が失地回復するのは、意外と簡単だ。

一切の資金援助を、断りさえすれば済む。

「我々はお互いに愛し合っているから結婚したいが、ここまで世間を騒がせたので、お金は不要です」と言えば、一発で雰囲気が変わる。

 

法的には準備金の辞退は簡単ではないらしいから、結局は支払われる可能性が高い。

だからこそ、コムロ君親子にとって「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」だ。

今のままでは八方塞がりで、到底念願の結婚には到達できそうにない。

どうせならここは一発、大勝負を賭ける価値がある。

コムロ君にすれば、何をやってもこれ以上、評判が悪くなることはない。

日本人なら絶対に見逃してはいけないマスターズの名場面

やった、やった!

松山英樹がマスターズを制覇した。

日本人初、アジア人としても、初めての大快挙だ。

早朝からテレビにくぎ付けだったが、最終18番を松山がボギーでホールアウトした瞬間、思わず立ち上がって拍手したほどだ。

 

思い起こせば鈴木則夫が、1976年全英オープンで一時トップに立った時が、日本人ゴルフファンの夢の始まりだった。

この時の鈴木は、最終的には10位で終わったが、日本人が世界に通用するかもしれないと思わしめるエポックメーキングだった。

1980年青木功は、全米オープンジャック・ニクラスと四日間の死闘を繰り返し、単独二位に食い込んだ。

日本人でもいずれは、メジャーに勝つかもしれない。

日本人トップ選手がメジャーに挑む度に、そう思ったが、結果は良くて4位止まり。

制覇には遠く及ばないまま、鈴木の活躍から45年、青木が世界に肉薄してから40年以上が経過した。

 

その間に、テニスで大坂なおみが全米や全豪で勝ったが、これはハイチのDNAの後押し効果が大きかったはずだ。

女性ゴルファーは通用するが、やはり日本人オトコの身体能力では、ゴリラやライオンがウェアを着てプレイしているような、外国人ゴルファーには太刀打ちできないのではと、すっかり弱気になっていた。

 

現に松山は、PGAで五勝していたが、この三年間は勝利から見放されていた。

優勝どころか、トップ10にすらなかなか入れない。

初日、二日目までは良くても、決勝リーグになるとスルスルと後退するのが常だった。

正直に告白するが、僕は「松山は終わった」と考えていた。

だから今回のマスターズで、初日に二位タイでも期待感は全く盛り上がらない。

案の定二日目は少々後退で、もはやこれまでと思っていた三日目、松山が大爆発して二位に4打差をつけて単独トップに立った。

これほどの差がつけば、当然ながら逃げ切り優勝も夢ではない。

と言うことで最終日は、斎戒沐浴の意味で、就寝前に入念に風呂に漬かり、白装束の代わりに着慣れたパジャマで、翌朝のテレビ観戦のために早めに眠りについた。

 

最終日、一時期二位に5打差をつけた時点で、楽勝ムードで気が緩んだ。

ところがインに入ると、ショットも乱れ、絶好調だったパターが決まらない。

ドンドン差が縮まり、18番では二打差。

そこでの二打目はPWなのに、グリーン横のバンカーへ打ち込む。

我々ド素人ならホームランやザックリが不安だが、さすがに松山は1メートルにナイスバンカーを決める。

2パットでも勝ちなので、ここで優勝を確信したが、松山はこのパターも外した。

少々締まりのない勝ち方たったが、それでも勝ちは勝ち。

世界中が、日本人の偉業を認識した瞬間だった。

 

もう一つ、今回のマスターズで大感激したシーンがある。

松山のマスターズ制覇も凄いことだが、考え方次第ではむしろこちらの場面こそ、日本中の人に知って欲しい。

テレビではホールアウトした松山と、グータッチで祝福するゴルファー仲間や、拍手を送るギャラリーを映していた。

その後は、公式優勝インタビュー、グリーンジャケットの贈呈式、続いて日本のテレビ局(TBS)が、日本人向けに松山にインタビューした。

ここでは、10年前の大震災直後にマスターズに初挑戦した松山が、地元への感謝を表すなど、些かクサい演出が目立った。

しかしそんな、謂わばありきたりの優勝祝賀の前に、松山がホールアウトした18番ホールのピンを差し戻す時、松山のキャディーの早藤翔太君は、オーガスタナショナルのコースに向かって、帽子を取って一礼していた。

その光景をESPN放送局がしっかりとらえて、世界中に配信したのだ。

 早藤君は、誰かを意識してそんな行動をとったのではない。

コロナ禍でも四日間コースの整備してくれた関係者や、戦いの場となったコースそのものに誠実に感謝の態度をとっただけだ。

しかしこれこそ、Thisi is THE Japanese,

常に森羅万象、周囲への感謝の思いを忘れない、日本人なら当たり前だが、世界中探しても日本人にしかしかできない行動だ。

 

一方、同じアジア人だが韓国出身のキム・シウは、パターに八つ当たりして壊してしまうシーンが、バッチリと映し出されてしまった。

残りホールはスプーンをパター代わりに使用してホールアウトしたが、マスターズの大舞台での暴挙だけに、アメリカでも大ブーイングの嵐になった。

これもまたThis is THE Korean,

いくらゴルフの成績が良くても、世界中が注目するマスターズでこんなマナーを見せれば、ゴルファーとして尊敬されることはない。

 

 

道具に当たり散らして壊してしまった韓国ゴルファーと、コースに一礼して去った日本人キャディー。

松山の優勝が嬉しいのと同様に、日本人としてこの差は誇りに思ってよい。

日本人にとって、2021年マスターズは忘れられない。

ありがとうマスターズ、ありがとうオーガスタ・ナショナルズ

そして、ありがとう松山英樹、ありがとう早藤翔太!

民主主義の賛否は三分の一ずつ

人間は一人では生きていけないので、キリスト教でもアダムのためにイブが作られたことになっている。

しかし二人きりでは、どうしようもない。

更に一人、また一人と増えていき、社会となり、国家となる。

 

こうして集団生活を送るようになると、各々が勝手な主張をすれば、トラブルばかりになる。

そこで今度は、社会や組織運営のためのルールが必要になる。

社会がある程度の規模までは、飛び抜けた存在の一人の元に纏まっていれば秩序が守られる。

しかしそんな指導者が複数登場し、また構成員も多様な意見を持ち始めると、集団の行動方針をどれかに決める必要が出てくる。

世界の歴史は、そんな指導者たちが主導権争いを繰り返し、様々な栄枯盛衰の上で現代に至った。

全ての歴史は「勝てば官軍」で、勝った方の統治システムとルールが適用されてきた。

 

民主主義は、そんな集団意思決定システムの一つで、しかも一番新しい考え方だ。

そしてその民主主義ルールは、世界で最も多く採用されている。

日本でも、自由民主党立憲民主党、国民民主党など多くが、党名に民主を掲げ、民主主義政党と自称している。

アメリカは最も徹底した民主主義国家で、世界中に出向いてまで民主主義と敵対する勢力と武力衝突を辞さない。

「自由と民主主義を守る」ためなら、アメリカ国民の命を懸けることも辞さない。

民主主義を信奉しない勢力には、全くのお節介国家だ。

アメリカはそれほど民主主義を重要視しているし、アメリカほどではないにせよ、それは他の多くの民主主義国家も同じだ。

 

勿論、民主主義には問題点も多い。

その最たるものが、多数派の意見を採用するシステムなので、少数意見が埋没してしまうことだ。

また賛否が分かれると、結論に至るまでに時間がかかり、解決のタイミングを逸することになる。

だから民主主義以上のシステムが存在するなら、誰もがすぐに採用するはずだが、今のところそんな兆候はない。

皮肉を込めて自虐的に「民主主義を超えるシステムがないので、やむを得ず民主主義を採用している」とも言われるが、それは中らずと雖も遠からずだ。

 

民主主義の下では、少数意見を披瀝する場も保証されている。

もともと人間の価値観は多様だから、全会一致の合意などはない方が普通だ。

あらゆる件で、確たる賛成派が三分の一、同様の反対派が三分の一、付和雷同派が三分の一と思って良い。

だから自分たちの意見を通すためには、どっちつかずの付和雷同派を味方につけることが必要になる。

第三極とか、支持政党なしとか、アンケートに、賛成、反対と違って「どっちとも言えない」と答える連中がそれだ。

賛否が鮮明な部分は、ある程度まで票読みが可能だ。

だが、この付和雷同派は風向き次第でどちらにも流れるので、こんな連中の影響力を高まると、政局も不安定になるし、重要な決断も遅れてしまう。

 

余談だが、僕はアンケートに「どっちとも言えない」と答えるのなら、最初から参加するなと言いたいが、そんな主張を発信することも民主主義の権利なのがもどかしい。

 

日本の民主主義は、二大政党制の諸外国に比べると、全く違った民主主義だ。

そもそも「三分の一民主主義」理論で見れば、与野党各々が三分の一ずつで、第三極が残りのはずだ。

ところが日本では、自民党単独の支持者が三分の一以上もいる。

反面野党は全部集めても10%に満たず、実際の最大勢力は40%以上にも及ぶ、支持政党なしの連中だ。

日本型民主主義では、自民党への信任不信任を、支持政党なしの連中が判断する。

その結果は、自民党チョンボが目立てば議席数が張るが、それでも野党に政権を任せることにならない状態が続いている。

 

例外が「自民党へのお仕置き」で、2009年に誕生した民主党政権だ。

しかし政権担当能力などあるはずもなく、鳩山由紀夫菅直人野田佳彦の三代で、日本経済や国家基盤を壊滅的危機に追い込んだ。

日本憲政史上、最低・最悪宰相の呼び声が高い菅直人が、民主党政権時代に「民主主義とは期間限定の独裁体制」と本音を吐露して物議を醸した。

菅直人は、選挙結果で政権の座についた民主党は、その考えが多数派から信任されたのだから、独善的に押し通して構わないと考えていた。

しかし、奢れるもの久しからず。

わずか三年で下野を余儀なくされた民主党は、その独善的政権運営と無方針無定見無策ぶりから、二度の政権に就けないほど落ちぶれてしまった。

この民主党失政の是正に10年もの時間がかかるのが、民主主義の弱点の現れだ。

 

長期政権の与党が腐敗しているとの批判もあるが、元を質せば、これを批判できない野党のだらしなさの所為だ。

より良い民主主義体制のためには、与野党の切磋琢磨が必要だ。

だが、最大野党の立憲民主党以下、与党に対案すら出せない野党集団では、民主主義の成熟などありえない。

民主主義を危機に追い込んでいるのは、、実は与党ではない。

目立ちたい一心で、国会で役にも立たない質問を繰り返し、政府にイチャモンをつけるだけの単なる穀潰し集団、野党の実力不足が一番の問題点だ。

ついに東北桜見物旅行を断念

思い起こせば2月12日に、正式に二度目の緊急事態が宣言された。

前回は、小池百合子にかき回された末の宣言で、リーダーシップ不足を指摘された菅首相は、この時は何が何でも気勢を制したかったようだ。

動機は不純だが効果は覿面で、コロナウィルス感染者は確実に減少傾向を示した。

 

実はこの正月に、雪見しながら温泉を満喫しようと、すっかり馴染みになった盛岡郊外の繋温泉と、裏磐梯猪苗代湖の温泉宿を予約していた。

ところが感染者が急増し、とても旅行などの気分ではない。

しかも、緊急事態宣言で自動的にGo toキャンペーンも中止になったので、この時は泣きの涙でキャンセルした。

 

そこで2月後半、そのリベンジで、東北への桜見物を思い立った。

今年は暖冬の予想で、桜の開花も例年に比べれば半月以上も早いと見込まれていた。

ならば、東北地方の満開予想は4月中旬になる。

ちょうど緊急事態が解除されるタイミングに合致するので、二年前に弘前城、小岩井牧場の一本桜、盛岡城址、そして三春の滝桜、会津若松城と、東北地方の桜の名所を梯子した旅行の再現を目指すことにしたのだ。

宿泊は、正月雪見と同じ宿を再予約。

後は緊急事態解除とGo to復活を待つばかりの、準備万端整った状況だった。

 

3月21日、当初の予定より二週間ほど遅れたが、緊急事態宣言が解除された。

残念ながらGo to復活は6月以降まで見送られたが、元よりGo toがなくても旅行する積りだったので、気分はすっかり旅モードになっていた。

 

ところが、緊急事態解除後に、またまたコロナの感染者が増え始めた。

特に大阪、兵庫、そして宮城と山形で半パンデミック状態となった。

目的地が東北なので、関西での再爆発は大して影響はしないだろうが、すぐ近くの宮城や山形には無関心ではいられない。

しかも、目立ちたがり精神だけのデベソ都知事小池百合子が「今日の大阪は明日の東京」と、危機感を煽り立てる。

周囲も「このタイミングで?」と非難がましい眼差しを向けるし、何よりもまん延防止宣言発令が決定されてしまった。

 

まん延防止宣言と緊急事態宣言は、若干内容に差があるらしいが、要は「不要不急な外出はするな」との略式命令のようなものだ。

更に、今後も感染が増え続けたら、またまた緊急事態宣言の可能性も高いらしい。

こんな状況で出かけても、気分が乗らない。

それだけでなく、目的地で歓迎される保証もない。

とうとう今回もまた、旅行そのものを諦めることにした。

 

それにしても、まん延防止宣言は分かりにくい。

3月21日には「もう大丈夫」と緊急事態が解除されたばかりなのに、4月9日にはまん延防止宣言が決定される。

ガースーは「緊急事態宣言を出さないためのまん延防止宣言」と言うが、要求される内容は全く一緒だ。

政府は一所懸命なのだろうが、それでもチグハグ感は否めない。

楽しみにしていた旅行が出来なくなった腹いせもあり、ついつい文句の一つも言いたくなってしまう。

 

我が家の場合は。気分が悪い程度の不満で済むが、観光地は死活問題になる。

どこの観光地も、とにかく客が来ないと商売にならない。

しかし観光客が増えると、途端に三密状態になり、感染リスクが高まってしまう。

しかも、こんな状態がどこまで続くのか、いつ、どのようになれば解決するのか、全く五里霧中なのだ。

バカアホ小池百合子は「GW中の県をまたいだ移動の自粛」とか「外出を控えて」とまで求めている。

ゴールデンウィークと言えば一年で最大の書き入れ時なのに、これでは観光業者だけでなく、都内の飲食店もお先真っ暗だ。

 

もはや期待は、ワクチンしかない。

ウィルス根絶までには、数年がかりの我慢が強いられるとも言われる。

いつまでも、完璧なコロナ抑え込みを待っていると、客商売だけでなく、日本の経済そのものが破綻する。

ワクチンで感染防止効果が出れば、後は少々のリスクは覚悟の上で、経済活動を再開させるしかない。

そんな覚悟を固める時期が、将に目前まで迫っている。

民主主義対専制主義の戦い

アメリカの、対中国姿勢が厳しくなっている。

当初はトランプ前大統領の個人的キャラクターの所為とも思われたが、バイデン政権になっても変わらない。

むしろ人権を関して言えば、米民主党の方が鋭く中国を批判しているようにも見える。

そのバイデン政権は、世界の現状を「民主主義対専制主義の戦い」と認識し、共通の価値観の「民主主義を守る」国々への共闘を呼び掛けた。

米中対立は、一般的には経済戦争とみられているが、実はもっと意味が深く、政治体制の在り方を問うている。

 

この場合、民主主義国家に住んでいる人間なら、無条件でアメリカを支持するはずだ。

しかし現実は、必ずしもそうではない。

何故なら、民主主義にも多くの欠点があり、万全の政治体制には程遠いからだ。

それでも、専制・独裁体制よりも遥かにマシなので、消極的ながら民主主義を支持する人たちも多い。

 

中国で現地法人会社を設立した時に採用した、中国人の知人がいる。

お茶の水女子大に留学していた才媛で、日本語は日本人よりも上手い。

才色兼備の女性で、日本人仲間からも可愛がられ、頼りにされていた。

しかしそうは言っても生粋の中国人で、日本と中国が微妙な立ち位置なので、お互いに政治的な話題は避けるようにしていた。

そんな彼女は、子供の教育のために中国の会社を退社した後再来日し、今度は派遣社員として我が社で働き始めた。

 

そこでちょうど中国語を勉強していた我が嫁の個人教授として、家族ぐるみで付き合うことになった。

個人的な付き合いなので、昔よりもプライバシーも話題になる。

その時に彼女が放った一言が忘れられない。

「日本人は民主主義が素晴らしいと信じているけど、民主主義にも欠点がある」

 

いみじくも彼女の発言の正しさを証明したのが、武漢肺炎対策だったことが皮肉だ。

アメリカやヨーロッパは、武漢肺炎に叩きのめされた。

日本は、他の国よりも小規模パンデミックに抑えたはずだが、緊急事態を出しても出さなくても文句を言われ、自粛要請も徹底できない。

それに比べ、発症国の中国は、いち早く封じ込めに成功したと自慢している。

しかもあろうことか、パンデミックが起きた発展途上国を相手に、昨年はマスク外交で、そして今年はワクチン外交を仕掛ける厚顔無恥ぶりを発揮している。

それは、権力による強制的な都市封鎖であり、個人情報を集中管理のお陰なのだが、勿論中国は、そんなことは頬被りだ。

 

例えその効果が抜群だと分かっていても、国民の隅々まで権利意識が高い民主主義国家では、簡単には実行できない。

ところが一党独裁国家なら、人権への配慮などお構いなしでの防疫体制が可能だ。

武漢肺炎は、中国による火付け強盗みたいなもので、したり顔で救いの手を差し伸べるやり方には憤懣やるかたない。

しかし専制国家の中国が、民主主義の西欧・日本などの諸国よりも有利に、発展途上国の囲い込みに成功しているのは事実だ。

 

だからと言って、発言や行動の自由がない専制国家に住む気にはならない。

それは、アメリカやヨーロッパには移民が押しかけるが、中国やロシアに住みたい人間が現れないことを見ても分かる。

専制国家は、人間の尊厳を踏みにじっている。

一旦民主主義の中で生活し、自由に政権を批判したり、自分の意思を表明することが当たり前の人間には、中国や北朝鮮のような支配体制は到底我慢できない。

 

日本では、共産党まで民主主義を唱えるが、これは全くの欺瞞だ。

本来の共産主義は唯一無二の絶対思想なので、反論や批判は許さない。

共産党がこの独裁体質を隠しているのは、暴力革命では国民の支持を得ることができず、やむを得ずに平和革命に路線変更したからだ。

しかしその共産主義の本質は、絶対に変わることはない。

共産主義は、世の中が最終的に共産主義化されることで、政治経済の全ての矛盾が解消されるとの歴史観を持つ思想だ。

だからこの流れに反する行為は「歴史の歯車を逆に回す」反革命であり、単に批判するだけでなく、積極的に排除しなければならないとの結論になる。

共産主義者が、敵対勢力に暴力を使うのを躊躇しないのは、この歴史観による。

 

そんな共産主義、即ち専制・独裁主義と、全員参加が原則の民主主義は共存できない。

アメリカと中国が、妥協点のない対立関係になったのは、歴史の必然だ。

当然ながら日本も、旗幟を鮮明にしなければならない。

隣の韓国のような蝙蝠外交、バランサーの立ち居振る舞いはあり得ない。

しかし日本では経済界を中心に、韓国同様の二股外交を是として、経済的に中国と対峙したくない勢力がいる。

実はそれは日本にとっては、将来の災いを大きくしているだけの愚策であることに気が付かなければならない。