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週刊文春と週刊新潮と野党

今売れている週刊誌のトップツ―は、週刊文春週刊新潮らしい。

 

この二つの週刊誌とも、スキャンダルだけを追及しているのなら罪はない。

「文春砲」などと煽てられて、「誰それと誰ベエが不倫中」とか、「どこぞの馬の骨同士が恋愛中」とかの報道なら、スッパ抜かれた当人は大迷惑かもしれないが、当方のようなやることのない庶民には格好の暇潰しになる。

しかし天下国家に関する記事でも、販売数を稼ぎたい一心で記事を書く姿勢は問題だ。

そしてこの点になると、この二つの週刊誌は見事なくらいに典型的で徹底的な反日だ。

韓国の反日国家総動員の役割を果たし、週刊誌の反日は、日本人の自虐思想と猜疑心を刺激し、販売部数増加となる。

 

その文春と新潮の先週号は、半年ぶりくらいで「桜を見る会」追求記事が消えた。

勿論当方は、こんな反日記事が溢れた週刊誌を、読む価値がないと信じているので、カネをだしてまで買おうなどとは思わない、

毎週水曜日か木曜日に、新聞の下の欄に掲載される広告を見るだけで充分だ。

その新聞広告で確認しただけなので、ひょっとしたら実際には、どこかの記事で相変わらず「桜、サクラ、さくら」と煽り立てていたのかもしれないが。

 

よくよく見ると、この文春と新潮の記事は、野党の行動とまるで同じだ。

全く証拠もないのに、ひたすら「あそこが怪しい、ここが怪しい」と騒ぎ立てる。

場合によっては、かなり際どい手段で「これが新証拠だと思われる?!」みたいな書き方と言い方で印象操作を繰り返す。

そうすることで、国民の安倍政権への信頼感が少しでも損なわれれば、野党には倒閣の可能性が出てくるし、週刊誌側は販売促進になる。

不信感とまではいかなくても、国民の不安感を醸し出せば、その分、野党と週刊誌の両者共に存在価値が高まっていく。

そんな、さもしい根性を丸出しにして、ただただ騒ぎ立ててきた。

実際に野党は、週刊誌をネタに政府を攻撃していた。

しかし、まるで無責任に読者の好奇心と興味を掻き立てるだけの週刊誌ネタでは、野党がいくら追及しても、所詮は二番煎じだし、その追求だってお里が知れる。

 

ところが、ここまで武漢肺炎の恐怖が国民の高い関心事になっても、「桜を見る会」ばかり追求していると、さすがに野党も週刊誌も、その存在そのものを問われかねない。

そこでやっとのことで先週になって、週刊文春週刊新潮も「桜を見る会」追求を諦め、武漢肺炎記事に舵を切ったものと思われる。

しかしこの間の動きを見てくれば、野党の政治姿勢も、週刊誌の報道姿勢も、場当たり主義で無原則なのはバレバレだ。

彼らにとっては、証拠もなしで騒いできた「桜を見る会」と、世界大不況のトリガーになり、オリンピック延期や中止にもつながりかねない武漢肺炎は、同じ程度のニュースバリューでしかない。

と言うよりも、武漢肺炎を騒ぎ中国サマのご機嫌を損ねるよりも、サクラを騒いで安倍政権の評価を落とす方が重要なのだ。

 

こんなやり方が、国民からの信頼につながるはずはない。

立憲民主党は半年間も、ひたすら「桜を見る会」追求に明け暮れた。

同党幹事長の要職にある福山哲郎は、国会質問で「サクラだ、桜だ、時間が余ればコロナだ」と切り出したが、これこそ彼らの本質を端的に表している。

武漢肺炎が現実の脅威になっても、政局だけが優先されていた。

それは週刊文春週刊新潮もまた、全く同じだった。

 

 

野党は結局、政権の足を引っ張るだけしか興味がなく、政権担当能力など皆無だ。

週刊文春週刊新潮は、所詮はスキャンダル雑誌だったことを、白日の下に晒す結果となった。

こう言っちゃ何だが、野党は全く役に立たないお邪魔虫で、週刊誌は大衆の下衆の勘繰りを満足させるだけの覗き見野郎だ。