昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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ヘンな日本語を使う人

間違いようのない日本語を、見事に間違えて使う先輩がいた。

本人は大真面目に間違うので、なかなか注意できない。

結果として先輩は、あらゆる場面で日本語を間違え、失笑を買うことになった。

注意しない方がいけないのか、そんな間違いを仕出かす方がいけないのか?

彼と共に仕事をしている間、そんな悩みを感じながら会社員生活を送る羽目になった。

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勘違いして覚え込んだものだから、間違えてる使うのは仕方がない。

しかし何故そんな勘違いをしたのか、全く分からないのが「選択肢」を「センタクワザ」と言うケースだ。

「選択肢」は英語のOptionで、ビジネスの世界ではよく使用される言葉だ。

しかし普通のセンスの持ち主なら、これを「センタクワザ」とは言わないだろう。

だから、会議などで聞いて覚えたはずはない。

文書にあった「選択肢」の「肢」を、「技」と読み違えて覚えたとしか考えられない。

この間違いを仕出かす仕事仲間は、実は二人いた。

二人もいることが驚きだが、二人とも国語の成績は悲惨だったに違いない。

 

もう一つ、訳の分からない間違いをする同僚がいた。

こちらは、「袖すりあうも他生の縁」だ。

この諺自体が、「すりあう」は「振りあう」を当てたり、「触れ合う」が使われたりする。

「他生」も「多生」が使われ、過去、未来を表したり、輪廻の意味を表したりする。

しかしいずれも、「どんな些細なことでも、全て深い宿縁がある」との意味だ。

 

ところが彼は、何をどう聞き、どう理解したのかは分からないが、「袖触れ合うも多少の緑」と言う。

左様!

最後の言葉を、「縁(えん)」ではなく、「緑(みどり)」と思っているのだ。

更に不思議なのは、この諺の意味はきちんと理解して、それに対応する場面で使う。

「今回の出来事こそ、袖触れ合うも多生のミドリで、御社には今後益々お世話になると思います」と言われると、顧客の方がすっかり面食らってしまう。

これもまた、文章でこの諺を間違って読み、そのまま記憶してしまったのだろう。

 

しかしこんな間違いをしても、相手は忖度してくれるし、仕事にも影響はない。

むしろ、ビジネストークのネタを提供してくれるようなモノで、「あの面白い人、どうしてる?」と、却って注目され、可愛がられたりもする。

日本では、安倍首相や麻生首相(当時)が、漢字を読み違えたと顰蹙を買った。

ヒダリ巻き連中は、鬼の首でも取ったかのように嘲っていたが、この二人とも、日本語を知らない外国人には一目置かれているし、国際的にも強い日本を発信している。

 

日本語を間違えても大したことはないと、開き直って生きる方がベターだ。