昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

エラそうに人生訓を

僕は、人生は、

 ・塞翁が馬

 ・禍福は糾える縄の如し

 ・最後は、プラスマイナスがゼロになる

と確信している。

 

「やり直すのならどこから?」と聞く人がいあるが、これなど愚問の典型だ。

 ・今の自分が全てで、以上でも以下でもない

 ・人生はやり直しが利かない

だから、あの日に帰りたいなどのセンチメンタリズムは、何の意味もないのだ。

 

僕の今までの人生は、大山あり大谷ありで、平野などほとんどなかった。

当然その途中では、何てバカなことを仕出かしと、反省することは多々ある。

むしろ多々多々、はたまた多々多々、あり過ぎるほどだ。

 

一番の反省は、「もう少しシッカリと勉強していれば」だ。

何せ幼少の砌は、天才少年だった。

親からも周囲からも、「末は博士か大臣か」では物足りないほどの期待を集めていた。

それが、長じるに従い、ドンドン凡人化、俗物化していった。

 

高校生ともなると、もはや中団後位で、果たして大学に受かるのかを不安がられた。

なんとか合格した後は、すっかりサヨク被れになり、卒業が覚束無くなった。

就職した直後に、元々の素行不良がバレて、ド田舎の事業所に飛ばされてしまった。

周りに仕事仲間がほとんどいないので、会社員として一番大事な、社内の人脈作りができない。

そんな島流しの幽閉蟄居が10年も続いた。

会社人生は、誰からも注目すらされず、助け合う仲間ができない、大ハンディを背負ってのスタートになった。

 

しかし、そんな厳しく寂しい環境なのに、良いこともあった。

何よりも、そのド田舎で、結婚相手に巡り合った。

また顧客には、そんな境遇の新人社員が、物珍しかったのだろう。

どの顧客からも、エラク可愛がられた。

しかも商談相手は、田舎と言えども一国一城の主なので、経営や人生に独自の哲学を持つ、尊敬に値する人物ばかりだった。

その後40年以上、ほとんど同じ仕事に従事した、

その時に役立った業務用財産の大半は、このド田舎で教えられたり身についたものだ。

 

自分で言うのも思い出すのも恥ずかしいが、若い頃はバカだった。

そんなバカだったので、余計な回り道を余儀なくされた。

しかしそんな回り道にも、人生の道標が用意されていた。

そしてそれは、順風満帆な道を歩いた人間には、絶対に巡り合えない経験だ。

だから、あそこからやり直したいなどとは全く思わないし、そんな後ろ向きの考え方そのものが無意味なのだ。

 

病弱な人は、健康な人に比べてハンディがある。

しかし病弱だから、同じような境遇の人に対しては、心からの同情を覚えるし、配慮することができる。

一方の健康そのものの人間は、病気の辛さが理解できない。

ついつい、「微熱ぐらいで仕事を休むな」などとパワハラをしてしまう。

微熱を辛さを分かっている人が、病弱な人に同情し、仕事で応援する姿勢とは、全く違ってきてしまう。

その結果、周囲から得られる人間としての評価には、決定的な差が出る、

病弱な人は、病弱ゆえに辛い人生を歩むのだが、健康の有難さを分かっていない人に比べれば、他人に優しくなれるし、人間としての信頼感を集めることにもなる。

 

何事も、気持ちの持ち方一つで、プラスにもなればマイナスにもなる。

人生は、トータルでチャラになるようにできている。

韓国には強気一辺倒の北朝鮮

韓国の脱北者団体が、北朝鮮批判のビラ入り風船を飛ばしたことに、北朝鮮が「激おこプンプン」(は死語?)状態だ。

 

今回は、特にビラで馬鹿にされた当事者で、余命いくばくもないと噂される、太っちょ将軍様の方は「大人の対応」で沈黙している。

しかし、オ妹君の金与正オ嬢様の方が大変な御立腹のご様子で「韓国を武力成敗してやる」とまで喚くなど、尋常な怒り方ではない。

とうとう開城市にある、文在寅肝いりの南北連絡事務所を爆破してしまった。

 

年齢的には女性の更年期障害とは思えず、やはりビラの内容が逆鱗に触れたのだろう。

その肝心のビラの内容は、脱北者団体も明らかにしていないので想像の域を脱しない。

しかし、1ドル紙幣やオーソドックスな北朝鮮の体制批判以外に、「金正恩の不倫疑惑」「金与正のコラボ写真」なども紹介されていたらしい。

日本では、アンジャッシュ渡部建の不倫で大騒ぎしているが、北朝鮮側の過敏な反応を見ると、洋の東西を問わず、不倫は国民の関心を呼び起こすようだ。

ここまで北朝鮮を逆上させる、不倫ネタとコラボ写真恐るべし!

 

それに対する韓国政府側の対応は、「情けない!」の一語だ。

韓国人は夜郎自大の典型なので、正式国名に「大」の一字をつけて、「大韓民国」と命名し、精一杯の虚勢を張っている。

しかし、民主主義とも人民共和国とも全く程遠い金王朝支配体制を「朝鮮民主主義人民共和国」と称する、北朝鮮の厚かましさの前にはまるで言い負け、位負けだ。

両国の態度は、虚仮脅しが常套手段の朝鮮人らしいが、問題は、韓国の文在寅政権が、名前負けだけでなく、北朝鮮主体思想に帰依しているのではとの疑いの方だ。

 

文在寅政権は、金与正オ嬢様のオ怒りを何とか鎮めようと躍起になり、前後の見境もなく、ビラをまいた脱北者団体を告発してしまった。

脱北者にしては、堪ったものではない。

命がけで北朝鮮を脱出した脱北者には、共に北朝鮮体制打倒を目指すはずの韓国が、不倶戴天の敵、北朝鮮の金一族への忖度を優先するとは、信じられない悪夢だ。

金様ご一行のご機嫌取りために、脱北者を切り捨てる文在寅政権が続けば、文字通り人身御供として北に強制送還され、公開処刑の憂き目を追うかもしれない。

庇ってくれるはずの韓国のあり得ない裏切りに、「韓国はまるで、味方を後ろから撃つ常習犯、自民党石破茂みたいなヤツ」と嘆いているかも知れない。

 

石破茂など、暢気なことを言っている場合じゃない。(誰も言っていないか?!)

そんな危機意識に、駆られているだろう。 

 

北朝鮮とは違い、韓国は一応は民主主義国家なので、政権は民意の現れと見做される。

だから、親北の大統領が選ばれてしまうのも、韓国民の意志なので仕方がない、

しかし、そんな新しい体制になっても、守らなければならない枠組みがある。

国際条約順守はその典型で、韓国の場合は、脱北者の保護もまたそうだ。

脱北者は、韓国が認めた北朝鮮からの亡命者だからだ。

その脱北者団体が気に入らないからと言って、脱走した母国に慮るようなことは、民主主義国家、なかんずく先進国の振舞いではない。

マァ、韓国に先進国の心得を説いたところで、全く理解はできないだろうが。

 

それにしても、北朝鮮の韓国に対する強気は、一体どこから来るのか?

北朝鮮が、諸外国からの経済支援なしでは成り立たない国なのは、誰もが知っている。

だからこそ北朝鮮は、国連決議の経済制裁を無力化しようと、親北政権の文在寅大統領の仲介による、国際支援と国際協力の約束履行を心待ちにしていた。

北朝鮮にすればその点では、蝙蝠外交でしかない文在寅の働きは全く不満だろう。

文在寅政権に、脅しの一発でも噛ましてやれ!」との思いは強いはずだ。

 金持ち喧嘩せずとはよく言うが、北朝鮮は、貧乏人は失うものなどない状態なのだ。

 

更に、日本人には全く理解出来ないが、実は朝鮮人にとって、お互いの力関係の格付けが、立ち居振る舞いの在り方を決める極めて重要なファクターだ。

朝鮮の小中華思想は良く知られていて、長きに亘って宗主国だった中国よりも、朝鮮が一段下の存在であることは認めている、

同様に、アメリカとも格付けで下位にあることも認識していて、米朝首脳会談での金正恩は、トランプ大統領を下にも置かない態度だった。

 

そんな、上下意識と出身成分意識の強い朝鮮人にとっては、北朝鮮金王朝こそが正規の朝鮮半島の支配者で、韓国はいずれ北朝鮮にかしずく属国でしかない。

文在寅もまた、日本が連合国に敗れたため棚ボタ式に認められた韓国の独立に比べ、金日成のゲリラ闘争の結果独立した北朝鮮が、朝鮮民族の正当な代表との思いがある。

実は北朝鮮の独立は、当時のソ連や中国の思惑の結果なのだが、「誇り高い」朝鮮民族は、金日成こそ独立に導いた偉大な指導者と勘違いしている。

そんな意識が、韓国に対する北朝鮮の傲岸不遜な態度に現れている。

 

日本にとっては、どうでも良い。

むしろ、韓国民には悪いが、早いところ北朝鮮に飲み込まれた方が、分かりやすい。

今迄は、韓国が民主主義陣営の一角で、共産主義体制と直接対峙しているから、様々な支援をしなければならなかった。

しかし統一朝鮮がレッドチーム入りしたら、もはや民主主義国を守るための支援や経済協力は不要で、単なる一貿易対象国でしかない。

韓国を東西対立の緩衝材としてきた日本の国防意識も、統一朝鮮が出現すれば、大きく変わらざるを得なくなる。

 

日本は早いところ、韓国の見切りをつけるべきなので、文在寅北朝鮮への恭順外交は渡りに船以上の「渡りに橋」と、大歓迎するべきだ。

文在寅の進む道に流れる音楽は、石坂まさを作詞、叶弦大作曲、小林旭の「北へ」。

  ♫男は振り向き遠い空を見上げ ♫つけたタバコに故郷を思う

  ♫真冬の浜辺に傷跡埋め ♫夢は諦めて北へ流れる

目的の極楽浄土は、旧日本社会党が熱心に推薦していた「地上の楽園」。

 

韓国に悩まされ続けた日本にとって、これほど完璧にありがたい舞台はそうそうない。

日本国民は挙って、文在寅に心からエールを送りませう!

ゆけゆけ文在寅、ドンとゆけ!(by嘉門達夫♬「ゆけゆけ川口浩」)

ヤブ医者の所為で

基本的に、医者を信用していない。

黒澤明の「赤ひげ」先生は人格者で、「医は仁術」でカッコ良かったが、現実に我々の周囲にいる医者は、大半が「医は算術」の実践者だと思うからだ。

 

カネを稼ぐためなら不要な治療もするし、健康保険の請求点数を加算するためなら、やってもいない治療まで、やったかの如く報告する。

素人の患者に、医者がどんな治療をしたか、それをどう請求しているかなどの実態は分かりっこないと考える、ペテン師みたいなヤツもたくさんいる。

だから僕は、医者にかかる時はいつも、実に横柄な態度をとる。

医者から見れば、最も可愛げのない患者だ。

 

会社員の後半、健康診断で血圧が高いと指摘された。

通常の生活に支障などなかったが、要再検と書かれていたので、やむなく近所の町医者に赴いたら、血圧降下剤の処方を勧められた。

一度服用し始めると、それからは一生世話になると言われ、憂鬱になったものだ。

定期的にその薬を入手するためには、原則一か月に一度は医者の診察を受け、処方箋を書いて貰うことが必要になる。

そこで、その町医院に通うことになったが、ここの医者が実にヤブだった。

 

処方された薬だが、何とも効果が薄い。

血圧が150超なので治療しているのに、いくら投薬してもサッパリ下がらないのだ。

医者にそんな症状を訴えると、「150は正常範囲、理想的ですよ」と笑い飛ばす。

こっちも、深刻な顔をされるよりも、そんな楽観論の方がありがたい。

結果として、その医院に10年以上も通い続けたが、実はその間に心臓への負担が増していたことことが、後になって分かった。

 

血圧が下がらないまま放置していたら、段々息切れが激しくなり、体調が悪い。

しかし今までの医者は、まるで能天気で「大丈夫ですよ」しか言わない、

どうにも埒が明かないので、しびれを切らして別の町医者に行くと、血相を変えて、総合病院での検査を通告された。

総合病院の診察結果は、その時点で即入院一歩手前の危険範囲だったらしく、大慌てで薬を変え、且つ増やした結果、血圧も心臓機能のデータも大幅に良化した。

その後、カテーテル手術と一年後の再検査まで終わり、今の血圧は、110-70程度と安定していて、心臓への負担も軽減しているらしい。

 

「失われた10年」は日本政治、経済だけでなく、我が身にも降りかかっていた。

 

しかし、カテーテル手術を担当した医者も、今の体調の安定は不思議だと言う。

血圧降下の目的で、二種類の利尿剤を飲むことになったが、担当医によると、この利尿剤が想像以上の効果を発揮したのだろうと推測していた。

しかし実のところ、はっきりしたことは分かっていない。

理由は何であれ、とにかく体調が良くなったのはありがたいことだが、総合病院の医療体制を以てしても、病状が改善した理由が分からないとは情けない。

 

それにしても、近所の町医者の無責任さはどうしたものだろう。

我々が医者にかかるのは、調子が悪い時だ。

その瞬間から患者と医者は、「患者が自分の全てを医者に委ねる」関係になる。

謂わば患者は、生殺与奪の全てを、赤の他人の医者に預けることになる。

だから患者は本能的に、自分が医者に与える印象を、少しでも良くしたいと思う。

すると、どんなに頼りない若造でも、医者を必ず「先生」と呼ぶし、基本的に丁寧な敬語を使って、阿るような態度に終始する、

 

僕は、すっかり老人になったので、自分よりも年長の医者に当たる確率は低い。

医者よりも、こちらの方が先に生まれた、「先生」だと考えている、

だから医者に「先生」など言わないし、敬語を使うなんぞとんでもない。

徹底的なタメ口を原則としている。

その結果、愚かな医者がアタマに来て、治療が疎かにすれば、それを理由にカツアゲでもするかと、不埒なことを考えて割り切っている。

全く不幸なことだろうが、少なくとも今までの経験では、算盤勘定最優先で治療するような医者との遭遇が多かったし、誤診、誤手術の例もたくさん見ている。

治療に疑問があれば、特に不要な治療と思われるものは、ズケズケと指摘する。

要は、医者を尊敬もしていないし、全面的に信用することもないのだ。

それは、近所や周囲にヤブや悪徳医者が多かったたちの印象が悪く刷り込まれた所為だろう。 

医者は、患者の病気を直す仕事であって、それを何か社会的に特別で崇高な業務のように考えるのには違和感があった。

 

ところが、そんなステレオタイプの医者像が、最近になって少し変化してきた。

今回の武漢肺炎で、自分の身の危険も顧みず、体力の限りを尽くして患者の治療を続けた医者団をみたからだ。

武漢肺炎は、治療法も特効薬もないので、自分も感染する危険性は高い。

それでも苦しむ患者を見捨てられないので、必死に歯を食いしばって医療崩壊を防ぐ。

そんな医者団に対しては、尊敬と感謝の念に堪えない。

山本周五郎の「赤ひげ診療譚」の世界を垣間見た思いだ。

 

それにしても、常に患者の生と死の狭間を綱渡りする医者の仕事って、ストレスが溜まるものだろう。

ドラマ「白い巨塔」の主役、財前五郎が、そんなやるせない思いをぶちまけていた。

いくら高給を貰っても、医者なんかになるものではない。

(と、高給取り揃いの医者に、ちょっと負け惜しみ!)

モノ言う株主

株主総会と言えば長らく、シャンシャン大会が大半だったが、ある時期からそれへのアンチテーゼで、世界的に「モノ言う株主」が注目された。

日本では、村上ファンド村上世彰が、そんな風潮の中心人物だった。

尤も村上は、株取引のインサイダー取引疑惑で逮捕されてしまった。

この時、株取引の専門家のはずの村上は「何故か、聞いちゃったんですよ」と言い訳して、更に信用を失墜した。

 

当方、仕事の現役時代は、どこでインサイダー取引を疑われるかもしれないと不安に思い、株には一切手を出さなかった。

しかしリタイアすると、やることがなくなる。

加えて、銀行に定期預金していても、年間の金利は千円にも満たない。

ならばと、暇に任せて株取引を始めた。

2016年のことだ。

そして、自慢じゃないが、その取引の全部で黒字計上してきた。

 

と言うと、「凄いヂャないか」と声がかかるかもしれないが、秘訣は簡単!

購買対象会社をごく少数に絞り込み、継続的に株価を観察し、自分の基準以下に株価が下がれば買うし、上がれば売ることを繰り返しているだけだ。

決して一攫千金は狙わず、売って利益が出ると、その株がもう一度購入時の価格に戻るまでは「資金を休ませ」て、株取引に手を出さない。

その結果、大した金額ではないが、ちょっとした小遣い程度は稼ぎ出したので、嫁からは「株取引の達人」などと過分なる褒め言葉を貰っている。

 

ところがここに来て、そんな赫々たる株取引の実績に、泥を塗るような会社が現れた。

株取引で初めて、含み資産評価で大赤字となっているのだ。

それが、日産自動車だ。

実は、株を始めた年にもこの会社の株を買って、ソコソコの利益と配当金をせしめた。

ところが、小人閑居して不全をなす!

その後もこの会社は相変わらず配当は良いので、それではと、魔が差したように「二匹目のドジョウ」を狙ったのが2018年9月だ。

当初は配当もあり、株価も上がりと、順風満帆だった。

だが株購入後一か月で、強欲爺ィ、カルロス・ゴーンが逮捕されたのが悪夢の始まり。

 

その後、後継者でゴーン追放の立役者、西川廣人もまた、不正手段で給料の上増しがバレ、武漢肺炎の影響をモロに受けるなど、坂道を転がるように業績が悪化していった。

結果として、この3月期の日産の決算は、6千億円以上の大赤字た、

株価は購入時の半分以下だし、唯一の取柄だった配当金までゼロになる始末。

踏んだり蹴ったりとは、まさにこのことだ。

 

株主にとっては、こんなに腹の立つことはない。

そんなところに、日産から株主総会の資料が送られてきた。

見る気もしないような、悲惨な業績が報告されているが、そこには12人の新取締役候補者も紹介されていた、

一人1ページの、にこやかに笑った写真付きで、経歴と担当業務、役員に推薦する理由が書かれているが、こちらもまた読む気にならない。

そんなのどうでもいいから、業績回復の処方箋とスケジュールを明示して、株価を戻すと同時に配当しろ!と心中で毒づく。

 

今のままの日産では、明日はない。

今の 我が日産株は、ドブに捨てたも同然のようなクズ株でしかない。

今迄の株主総会では、招集を受けても、勿論参加したこともなければ、賛否の意思表示の葉書すら返送したことがない。

典型的な会社任せ株主から、雄々しく脱却しなければならない。

そんな危機感と使命感から、ついに当方も「モノ言う株主」になることを決意し、初めて、日産からの議案の全てに「否」をつけた。

 

日産はきっと、重要株主からの思いもかけない反対投票に焦るだろう。

新役員候補も承認されずに、途方に暮れるかもしれない。

しかし、そんな厳しい洗礼を受けたことを自戒の念として、日産立て直しに邁進してくれれば、「愛の鞭」を振るった側としては本望だ。

日産自動車よ、どうでもいいから株価を上げて、配当を再開しろ!

少なくとも、購入した時に株価まで戻せ!

身勝手な、俄か「モノ言う株主」は、それだけを願っている。

またまた不倫評論家登場の巻

ここで言う不倫評論家とは、何を隠そう、不肖私メなのです。

当方、ゲイノー人や有名人が不倫スキャンダルを引き起こすたびに、いつも同じような意見を述べてきた。

 

今回はアンジャッシュ渡部建が、不倫騒ぎの中心人物だ。

アンジャッシュは、コントの持ちネタを、中国人漫才コンビに丸ごとパクられたことでも有名になった。

アンジャッシュのコントは、外国人にも受けるようで、芸人としての才能は高いし、何よりも渡部は、マルチタレントとしてテレビに出ずっぱりだった。

その渡部の結婚相手が、一回り以上も年が離れた美人ゲイニン、佐々木希だった。

この結婚は、佐々木が別嬪さんだし、若いので、渡部は大いに羨ましがられた。

 

しかし、好事魔多し!

その渡部が、美人嫁の佐々木を顧みることなく、不倫三昧だったことが暴露された。

嫁を顧みていたし、夫婦仲に問題なかったかも知れないが、浮気の相手が複数いたことは事実で、渡部は嫁の佐々木には報告と謝罪済みとのこと。

その嫁が下した結論は知らないが、渡部は出演していた番組全部の出演を自粛することになり、年収一億円がパー。

とマァ、水に落ちた渡部は、四方八方からぶっ叩かれている。

 

当方の、不倫への基本スタンスはいつも決まっていて、

 ・不倫は文字通り、倫理的には良くないことかもしれない。

 ・しかし、惚れた、はれたは全部個人の問題だし、個人の責任

 ・たまたま好きになった人に既に配偶者がいても、理屈で片付かない部分がある

 ・だから、誰かが不倫を仕出かした場合、文句を言えるのは配偶者とその縁者だけ

 ・少なくとも、当事者と無関係な人間は、黙って事の推移を見守ればよい

だ。

 

この理屈から言えば、渡部を非難できるのは、嫁の佐々木希以外にはいない。

いくら週刊文春が、あたかも正義の味方のように報道しても、渡部と佐々木が納得ずくなら問題にはならない。

また一般大衆が、「佐々木が可哀そう」などと同情するのも、余計なお世話だ。

 

そもそも、マスコミや一般大衆は、高名な連中が不倫騒ぎを起こすたびに、ステレオタイプで当事者を批判する。

しかしその実態は、覗き見趣味、ピーピングトムでしかない。

実のところ、出来るなら夫婦間で大立ち回りの大喧嘩になるのが一番楽しいのだ。

また渡部のように、美人の嫁がいて、愛人が複数いて、それでいて仕事も充実していたゲイニンが、不倫を契機に一気に奈落の底に落ちていくのは痛快極まりないのだ。

だから、週刊誌やマスコミにとって、不倫騒ぎは実に美味しいネタであり、一旦公になると、連日のように微に入り細に亘って、こと細かに報道する。

 

今回渡部が不倫に走った原因は、嫁に対する不満からなのか、あるいは巷間囁かれているセックス依存症なのかは、(興味はあるけど)知らない、

もしも前者なら、美人とは言え、中学時代から秋田のヤンチャ娘だった佐々木と、物知りで健啖家の渡部では、夫婦間でも一致した話題がなかったのだろうと同情する。

後者なら、あのゴルフ界の英雄タイガー・ウッズや、名優マイケル・ダグラスと同じであり、渡部の名前にも拍が付く。

 

いずれにしても、夫婦間で片さえ付けば、一件落着の案件だ。

赤の他人が、差し出がましく、あれこれ注文を付ける話ではない。

人生の大先輩(?)として、率直にアドバイスすれば、

 ・かくなる上は渡部よ、嫁に対してはひたすら謝罪と徹底的なゴマすりに徹せよ

 ・「何かの間違いだ」「愛しているのは君だけだ」などの嘘も方便

 ・世間には下手な言い訳などせずに、「悪いのは私」と潔さげな態度をとる

 ・そうすると人の噂も75日、その内に次の不倫騒ぎで起きて注目されなくなる

を守り抜くことだ。

 

最後はゲイニンなのだから、今回の事件をネタにコントでもすれば、太々しいヤツと見直され、また仕事も増えてくるサ。

保証はできないけどネ。

我が家にもアベノマスクが到着した

我が家にもやっと、アベノマスクが届いた。

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しかし世間的には、今やマスクはどこででも買える。

むしろ、一か月前のマスク狂騒曲がウソのような投げ売りが始まり、値崩れ状況だ。

 

驕る平家は久しからず、足りぬマスクも久しからず!

 

当方も、シャープが製造販売に乗り出した時に、必死の努力で会員登録に成功したところ、購入方法が抽選式に変更される憂き目を味わった。

そこでメールで購入を申し込むと、何と競争率は100倍超で、当然のように落選し、無念やるかたない思いに駆られた。

ところがマスクは、その後ジャブジャブの荷余りになってきた。

シャープマスクは依然として人気があるようだが、当方は、あんなに高価なマスクなど、当選しなくてよかったと思うのは、我ながら身勝手だ。

 

アベノマスクは、マスク不足で大騒ぎしているタイミングで、配布が開始された。

本来なら、国民挙って大喜びするはずなのに、どうも当初から評判は悪かった。

何でも反対の野党は、さっそく「マスクに466憶も掛けるのなら、そのカネを他に使った方が良い」と批判した。

実際の費用は90憶円程度だったらしいが、今にして振り返れば、これは野党としては、比較的真面な意見だった。

後に、異物混入とか、カビがあるとか、かなり怪し気な悪口が増えたからだ。

しかし不思議なことに、安倍首相支持者からはそんなクレームは皆無だ。

何故か、神掛りな確率で、反安倍陣営だけに問題のマスクが配布されていて、ヒダリ巻き界隈は執拗に、マスクが不良品だと文句を言い続けている。

これはおかしいし、実に怪しい。 

 

そんな可哀そうな扱いを受けているアベノマスクを、実際に手に取って見た感想だが

何と言っても第一感は、「小さい!」。

当方は安倍政権には是々非々の立場なので、賛成の政策は応援するし「オヤッ?」と思う点には疑問を呈する。

よって、アベノマスクのサイズに関しては、ヒダリ巻き連中のブーイングと同感だ。

ただ、連中が大声で罵った異物混入やカビは、自作自演、事実の捏造だと思う。

我が家に届いたマスクは、キチンと縫製され、キチンとパッキングされていた。

「アベノマスクは、使い勝手は良くなさそうだが不良品ではない」

それが、我が家の結論だ。

 

それにしてもヒダリ巻き連中は、何でアベノマスクの悪口を並べ立てるのだろう。

確かにヒダリ巻きと安倍首相とは、政治的立ち位置や主張が違う。

しかし安倍首相は、全く民主的手続きを経て、日本の総理大臣になった人物だ。

と言う事は、日本人の民意、総意に基づいて、様々な政策を実行しているはずだ。

民主主義だから、反対意見はあって良いし、なければならない。

しかし現時点では、ヒダリ巻き意見は少数派なのだ。

 

ならばヒダリ巻きがやるべきことは、自分達の意見が多数派になるための努力だ。

それは、安倍政権の揚げ足取りではない。

モリカケでも、桜を見る会でも、黒川定年問題でも、敵失狙いの揚げ足取りで安倍政権を攻撃してきた野党だが、全く国民の支持は得られなかった。

アベノマスクの粗探しもまた然りで、いくら異物だ、カビだと騒いでも、政権のダメージにはならない。

 

野党なら、

 ・中国との付き合いは、経済優先か、あるいは中国の政治体制への警戒か

 ・度重なる、韓国からの日本への要求に対して、受諾するか拒否するか

 ・日本の国防は、アメリカとの同盟依存か、自主防衛か

などの政策論議を闘わせ、自分たちの主張への賛同者を増やす努力をするべきなのだ。

 

アベノマスクは、日本国内の武漢肺炎パンデミックを防ぐ目的で実行された。

確かに今となっては、マスクは日本中に生き渡ったので、時機を失したとも言える。

しかしアベノマスク配布が決まったことで、密かに在庫されていた値上げ待ちマスクが、一気に市中に放出されたのは事実だ。

ここでも野党なら、アベノマスクにイチャモンをつけるのではなく、マスクにかかった予算の別の使い方を提案して、国民の支持を集めるべきだ。

 

本来ならヒダリ巻き連中だって、そんな野党の政治姿勢に期待しているはずだし、そんな野党の姿勢の積み重ねが、支持者を増やす結果になる。

それこそが、望むべき民主主義のはずだ。

奴隷商人の銅像を海中に廃棄した人たち

アメリカで火が付い黒人差別反対デモだが、その影響がイギリスにも及んだ。

イギリス・ブリストル市で、奴隷商人エドワード・コルストンの銅像が引き倒され、海に投げ捨てらた。

 

そもそも日本人には、奴隷商人なる存在そのものの馴染みが薄い。

日本でも、人買いとか女衒とか、人間を売買する仕事はあったが、それはあくまで極めて少数の例外的存在だった。

しかし奴隷、特に黒人奴隷売買は、外国では大々的にビジネスとして成立していた。

 

そんな中で、ミスター・コルストンは

 ・17世紀に奴隷商人として巨万の富を得た

 ・多額の資産をブリストン市に寄贈したボランティア精神溢れた人物

 ・ブリストル市には、コルストンの名がついた建物や道路が多数ある

人物らしく、その業績には賛否両論あるようだが、今迄は少なくとも一部の市民からは尊敬され、有難がられていた面があるようだ。

それなのに、アメリカの差別問題の飛び火で、銅像が海中に投棄されるとは、あの世の本人だけでなく、コルストン家や遺族にとってはやるせない思いだろう。

 

善悪の価値観は、時代と共に変わる。

奴隷の存在も然りだ。

その昔、世界中には奴隷、若しくは奴隷のような環境を強いられた人たちは、それこそごまんといたし、戦争で負けた種族は、奴隷として働かされるのが常だった。

農奴もそうだし、中国の奴婢だって、奴隷と同じ扱いだった。

農地解放以前の日本の地主と小作人だって、似たような関係だ。

世界中が、奴隷の存在を認めていた時代があったのだ。

 

現代では、人権が強く意識されている。

差別だけでなく、ブラック企業などの働かせ方、働き方にも注意が払われる。

しかし、そんな時代の考え方で、昔の価値観を否定して良いモノだろうか?

コルストンは、現在では許されないビジネスで財を成したオトコだが、17世紀時代の奴隷商人は、後ろ指を指をれるのではなく、善意の篤志家扱いだった。

 

アルフレッド・ノーベルは、自分の発明したダイナマイトが戦いに使用され、多くの人命を殺めたことを悔いて、その贖罪意識からノーベル賞を設立した。

現在では、世界中の医学者、科学者にとって、ノーベル賞受賞は最大の名誉であり、憧れになっているし、平和賞狙いの政治家まで登場している。

このノーベル賞と、奴隷商人エドワード・コルストンの善行と、何がどう違うのか。

 

過去の悪行を今の価値観で裁くのなら、歴史上の偉人たちの大半が罪人になる。

現にアメリカ大陸を発見したコロンブス銅像も、毀損される動きが出ている。

ネイティブ・アメリカン、いわゆるインディアンを虐待したとの理由からだ。

そんなこと言い出したら、アレクサンダー大王だって、チンギス・ハーンだって、ナポレオンだって、みんな外国と戦って領土を保全したり拡張した武将だが、その過程では多くの敵兵を殺している。

 

韓国は日韓併合を、日本による植民地支配と難癖をつけるが、あの時代は西洋列強が挙って、海外の植民地争奪戦を繰り返していた。

しかも日韓併合は、韓国を植民地にしたのではなく、日本の一部に組み込んだだけだ。

韓国は今になって、日本は悪逆非道だと文句を言うくらいなら、当時、列強の餌食にならざるを得なかった、李氏朝鮮の治世を反省するべきなのだ。

 

歴史は、反省することはできても、やり直しは利かない、

当時精一杯に生き延びた先達を、今の価値基準で良いの悪いのを判断すると、今迄積み上げた全歴史を否定することになり、それは歴史に学ぶことではない。

却って、人類の歴史に対して、傲岸不遜な態度をとることになる。

 

17世紀に奴隷商人エドワード・コルストンのやったことは、今の価値基準では決して褒められたものではない。

しかしそれは、人間が400年近くかかって到達した考えなのだ。

コルストンの銅像を否定したいのなら、民主主義の手続きに則って撤去すればいいのであって、これ見よがしに海中に捨て去るのは、幼稚なヒロイズムでしかない。