昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

相模原市の「津久井やまゆり園」裁判について

1月8日は、カルロス・ゴーン記者会見とニュースがダブったが、相模原市の知的障碍者施設「津久井やまゆり園」入居者45名を殺傷した、植松聖被告の裁判があった。

 

45名殺傷、内19名を殺害しているのだから、史上最悪の殺人事件であり、被告は稀代の殺人魔だ。

しかもこの被告は、逮捕後も全く非を認めず、「意思疎通ができない知的障碍者は生きる資格がない」と主張し続けている。

事件の悲惨さだけでなく、犯行後の被告の態度もまた、常軌を逸しているのだ。

 

この裁判で被告は「皆様にお詫びします」と謝罪した後、小指を噛み切る、あるいは舌を噛むような仕草で暴れた結果、退廷処分となり、被告人不在で審議が打ち切られた。

判決には、被告人の精神鑑定が重要な基準になるので、被害者の家族からは「心身耗弱を装うパフォーマンス」との指摘もある。

今回の事件は、あまりに不条理で、且つ悪質極まりないので、精神鑑定で責任能力ありと判断されたら、死刑になる可能性が極めて高い。

 

僕は、こんな事件を起こす犯人が、真面な精神状態であるはずがないと思っている。

異常でもないごく普通の人間が、19名の人間を殺害し、26名を負傷させるなど、絶対にありえないからだ。

しかし裁判では、事件が悲惨であればあるほど、必ず丁寧な精神鑑定が行われ、その結果次第では、無罪判決もありうるのだ。

被害者家族が、被告は心身耗弱を装っていると不安視するのは、それを裁判官が認めると、被告が無座右になる恐れがあるからだ。

被害者やその家族にとっては、絶対に納得できないし許せないはずだが、精神異常で責任能力がないと判断されれば無罪になるのもまた、日本の司法制度なのだ。

 

逆に死刑判決がでたり、試験が執行されると、必ず「これで犯罪の背景が分からなくなった」との批判が出てくる。

先ず、裁判で死刑が確定すれば、半年以内に執行しなければならない時間的制約があり、法相はその任務を果たすべきだ。

ところが歴代の法相は、なかなか死刑執行を認めない。

それなりに自分の職務を果たす法相には、マスコミが「死刑を命じるとは怪しからん」と批判を浴びせる。

死刑は、臭い物に蓋をすることであり、真実の解明にはならないとの主張だ。

 

しかし事件の真実が明らかになれば、この手の異常者犯罪がなくなるとでも言うのか。

世の中には、様々意見の持ち主がいるし、様々な生き方がある。

植松聖のような極端な人生観を持つ人間は少ないが、絶対にセロではない。

そんな異常行動に走るヤツを、犯行前に見つけ出す方法なんてあるのだろうか。

仮に危険人物が特定されても、事前に隔離するなり監視すると、人権侵害になる。

 

ハッキリ言えば、異常者の犯行は防ぎようがない。

だからこそ、犯行後に二度と事件を事件を起こさないような、法的措置が必要になる。

それは事件の凶悪さによっては死刑執行であり、そうでなければ、生涯に亘って、社会から隔離するしかない。

こんな事件を二度と起こさないために、犯人を生かして反省させ、犯行の動機を知る必要があるなどは全くの詭弁だ。

植松聖を見ると、こんなヤツが隣にいることの恐ろしさを痛感せずにはいられない。

カルロス・ゴーンの遠吠え

1月8日、カルロス・ゴーンベイルートで、満を持した記者会見を行った。

この2時間40分にも及ぶ、カルロス・ゴーンの大演説を聞いて

・日産を食い物にし、私腹を肥やした悪辣経営者と思っていたが、実はそうではない。

・人品骨柄と、日産復活の辣腕振り、実績の素晴らしさは称賛されるべきだ。

・ゴーンが指摘する、旧態依然の日本の司法制度は、もはや国際的に通用しない。

・日本は国家として、一刻も早く司法制度改革に取り組むべきだ。

・ゴーンの逃亡は、疲弊しきった諸制度の矛盾を暴き出した、日本への鋭い警鐘だ。

と、心洗われた思いになった日本人は、果たしてどれほどいるのだろうか?

 

たまたま見ていたフジテレビのモーニングショーの中に、そんな稀有な存在の一人、三浦瑠麗がいた。

彼女は、ゴーンは現状の日本の司法制度に絶望し、この制度下では裁判を受けられないとの思いで脱走したと主張していた。

横にいた弁護士(名前は知らない)も、日本の司法制度が、いかに時代に遅れているかを力説していた。

長期間に亘る非人間的な取り調べが、正しい判決、判断になるとは思えないようだ。

 

だがちょっと待って欲しい!朝日新聞が社説、天声人語で多用するフレーズギャグ)

ここは日本だ。

ゴーンが生活し、商売し、その罪を告発されたのは日本なのだ。

日本には日本の司法制度があり、そのことを前提に、ゴーンは仕事をするべきなのだ。

僕がバリ旅行をした時、雇ったガイドに最初に言われたのは、「この国ては、麻薬は即厳罰になるし、誰も助けられないので、絶対に手を出さないように」だった。

中国も然りだ。

イスラム圏では、麻薬犯罪は即死刑になるし、それも残虐極まりない石打ちの刑などが、未だに存在している。

しかし、他国を訪れ、あるいはその国で仕事するのなら、その国の司法制度を前提にするしかない。

 

「一歩」譲って(普通は百歩譲るが、僕の先輩は我が強く、いつも譲っても「一歩」だけだった)、今回ゴーンが主張したように、「やったのは自分だけではない」としても、それは情状酌量の余地はあっても、ゴーンの罪が消えるわけではない。

検察が一罰百戒でトップを罪に問い、その代わりに他の小物に司法取引を持ち掛けることはありうるからだ。

ゴーンが日本の司法制度を論うことは、問題のすり替えでしかないのだ。

 

今回の長々とした記者会見で注目されるのは、日本のメディア取材を規制したことだ。

朝日新聞テレビ東京小学館だけが許可され、ゴーンに批判的なメディアは会場に入れなかった。

フジテレビは、過去にゴーンと会見したキャスターの安藤優子を派遣する気合の入れ方だったが、あえなく門前払いを食らい、大恥を掻いている。

しかしゴーンが、逮捕事情に詳しい日本メディアを制限したのは決して偶然ではなく、今回の会見が欧米メディアの情緒に訴えるものでしかなかったからだ。

 

その一番の証拠が、「関係した日本の政府関係者の実名を挙げる」と事前予告されていたのが実施されなかったことに伺える。

ゴーンはその理由を、「レバノン政府と国民に迷惑をかけたくないから」と言った。

これは、ゴーンが全く根拠不明で出鱈目な情報しか持っていないか、もしくは政府関係者の実名を公表すれば、レバノン政府の逆鱗に触れるかのいずれかの理由からだ。

前者なら、ゴーンが力説していた、日本の官民一体となったクーデター説の根拠が崩れるし、後者なら、ゴーンは今後、レバノン政府の操り人形としてしか生きていけないことを意味する。

しかも、今のレバノン政情は不安定極まりなく、いつまでゴーンを庇護するのか分かったものではない。

 

ゴーンは、日産立て直しの業績を力説していたが、やったことは会社の金を着服した、コソ泥の大規模バージョンに過ぎない。

天網恢恢疎にして漏らさず。

日本には、「お天道様が見てござる」との倫理観がある。

見事に警備の目を掻い潜って脱走したように見えても、コソ泥に安寧の地などない。

ゴーンは、レバノンの政情不安と、国際警察の指名手配に怯える余生しか残されない。

社民党消滅!

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す」

有名な、平家物語の冒頭だ。

盛者でもなかった社民党の消滅だが、それでも、もの悲しさを禁じ得ない。

 

思えば55年体制と言われた戦後政治は、政治を担う自民党と、それに合の手を入れる社会党のコンビの賜物だった。

1955年から始まったこのぬるま湯の政治体制の下での社会党は、政権奪取などは思ってもいない。

長年の野党生活に慣れ親しんでしまい、政権を担う気迫など端から持ち合わせない。

こんな無責任体質野党の存在は、自民党の長期政権維持には役立ったが、その反作用で与党の腐敗を加速させた。

 

土井たか子社会党委員長の時、自民党批判が強まり、ほんの一瞬、社会党は大躍進し、「ヤマが動いた」と大喜びしたが、その後続いた新党ブームの影響をもろに受け、大きく議席をなくしてしまった。

そもそも社会党は、北朝鮮を「地上の楽園」と宣伝するほど極めて近く、朝鮮総連と一緒に在日朝鮮人の帰郷運動を推進したりした。

また北朝鮮の日本人拉致も、一貫して「ありえない」と否定してきたが、金正日自らが拉致を認めて大恥を掻いたりもしてきた。

やってきた政策は、ハチャメチャなのだ。

 

しかし捨てる神あらば、拾う神あり。

すっかり少数政党に成り果てていた社会党だが、自民党が下野した後の連立政権では、そんな弱小政党でも数合わせの対象になる。

当時の小沢一郎は、師匠、田中角栄の教え通り「数こそ力」を実践し、社会党まで連立政権に巻き込んだ。

しかし、これにて自民党の復活はないとの思惑が外れ、今度は細川政権内で、何でも反対の社会党が邪魔になり、喧嘩別れをしてしまった。

社会党が離脱した連立政権は、一気に弱体化し、結局は自民党復権を許してしまう。

この時の自民党の切り札が、村山富市を首相指名した自社さ政権で、何と社会党は仇敵自民党と組むことを選択した。

 

運命とは皮肉なもので、自民党のやることには何でも反対だったはずの社会党が、自民党の政権復帰を助けたのだ。

しかし、当時の自民党側の仕掛人亀井静香は「稀代の名宰相」と持ち上げたものの、実際には村山富市に首相としての資質などゼロだ。

阪神淡路大地震では、初動だけでなく全ての対応が遅れを取る。

止めは、社会党が守り続けてきた綱領の破棄で「自衛隊は合憲」とまで宣言したために、それまで社会党を支持してきた連中からも見切りをつけられてしまった。

後は坂道を転がり落ち、今では1~2議席死守がやっとの政党になり下がった。

途中、社民党党首となった福島瑞穂は、村山富市が公式な記者会見で明言した自衛隊合憲の見解を否定した。

まるでお隣さん、韓国を彷彿とさせるご都合主義は、更に批判と反発を招き、今や、新興のれいわ新選組やN国党並みか、それ以下の影響力しかない。

 

こんな政党が、立憲民主党に吸収されることになった。

又市征治党首は、「党名には拘らない」などと発言しているが、そんな状況ではない。

例え吸収されても、むしろその後の社民党出身者の扱いはぞんざいを極めるだろうし、比例で当選可能な順番など回ってくるはずもない。

しかし、自らの政治信条を簡単に放棄したり変更しながら、何としても政治家であり続けたいと悪あがきを続けた社会党社民党への同情は皆無だ。

身から出た錆とは言え、社民党のみじめな凋落ぶりは、政党だけでなく、政治家の在り方をよく表している。

 

望むらくは、福島瑞穂又市征治社民党の残党たちには、ここまで落ちぶれた理由を真摯に総括して欲しいものだ。

最早、時代遅れの階級闘争や政治闘争に固執する政党など、全く御用済みなのだ。

世界一のラーメン店の休業

僕が「世界一」と信じてやまない、一番のお気に入りラーメン屋が休業となった。

このところ、最低でも週一、殆ど週二、多い時は週三回ペースで通っていただけに、ショックが大きい。

 

昨年末に訪問した時、年末年始の予定を聞くと「年末最後の日曜日から、年始最初の日曜日までお休み」との返事だった。

サービス業にしては、少々長めの休みだなとは思ったが、正月明けの6日月曜日、満を持して訪問すると、シャッターに「都合によりしばらく休業」の張り紙がある。

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正月から美味いラーメンを期待していただけに、心底ガッカリしただけでなく、この店の将来に不安な気持ちになった。。

 

この店のお馴染みさんですら、夫婦で経営していると思っている人も多いが、実は姉弟の二人でやっている店だ。

近所の店で聞き込みをすると、どうやらお姉さんの体調不良が原因のようだ。

そもそも、そのお姉さんだが、昨年末の夜の部では、店を休むことが増えていた。

弟さんのご主人に聞くと、「疲れたと言うし、夜なら一人でもやり繰りできるから」と答えていたが、それまでお姉さんの担当だった受注、水やりと料金精算まで一人でこなすのは大変そうだった。

その後、店に出てきたお姉さんに様子を聞くと、「もうガタガタですから」と笑っていたが、とうとう正月にダウンしたようだ。

 

この姉弟が、これまでどんな人生を送ってきて、どのような経緯で一緒に働いているのかは知らないが、この店は後継者もいない。

他の店では、ご主人以外にもラーメン作りの職人がいて、オヤジさんの技を盗んでいるのが普通だ。

こんな店なら、仮にご主人が病気しても、営業は可能だ。

しかし、家内工業然としたこの店は、この二人のどちらかが故障しただけで、一気に店を開けることが難しくなってくる。

 

最近のラーメン屋は、やたらと濃い味付けの店が多い。

健康に悪い食べ物ほど美味いので、背脂タップリとか、濃い醤油味とか、評判のラーメンはとにかくドッキリ感がいっぱいで、年寄りにはかなり堪える。

ところがこの店のラーメンは、透き通ったスープに手打ちの細麺、トッピングも卵半切れと叉焼二枚、水菜とネギだけのシンプルそのもの。

更に「光麺」と称する混ぜ麺はわすかに300円と、極めて良心的な店なのだ。

 

いつもピカピカに磨きあがられたステンレス設備の店内に、寡黙な弟さんと、愛想の良いお姉さんの取り合わせの妙で、基本的にはお馴染みさんが通う店だった。

我が家では、通常はラーメンなんか絶対に嫌がる妻でも、「ここの店のラーメンは好き」なので、良く夫婦でも出かけた。

僕は、全く飾り気のないラーメンの大盛りを、いつも注文していた。

そんな我が家御用達のラーメン店が、突然の休業宣言だ。

「休業」が太字で書かれている分、果たして再開があるのかも心配になる。

 

僕はFaebookで、地元のラーメン同好会のメンバーになっている。

ラーメン店を訪問する度に、真面目に投稿していたら、「グループ盛り上げ名人」の称号を貰った。

そこで近所の同好の士に、このラーメン店の窮状を訴え、再開の際にはすぐに連絡を取り合おうと呼びかけた。

するとあっという間に、「いいね」が集まり、この店の人気の程が良く分かった。

 

今は、お姉さんの一日も早い回復と、このラーメン店の再開を祈ってやまない。

老環境活動家の独り言

環境問題活動家、スウェーデンのグレダ・トゥーンベリ嬢の向こうを張って、老いた僕もまた、環境活動家の道を歩んでいる。

 

尤も本家のグレダ嬢は、実際は中国資本の援助を受けて活動しているので、世界最大の二酸化炭素排出国、中国へは文句ひとつ言わない。

世界に向けては、目を血走らせた演説で勇ましさを見せる姿とは、見事なまでのダブルスタンダード振りだ。

レダ嬢は、環境負荷が大きいからと飛行機は利用しないが、わずか数人で空間を占有するヨットで優雅に移動する。

彼女が乗ろうと乗るまいと無関係に、大勢の客のために運航している飛行機よりも、わざわざ環境活動家のために仕立てられたヨットの方が環境に優しいとは、こちらもまた絵にかいたような偽善ぶりだ。

 

その点、老環境活動家の僕は、中国もアメリカへも全く遠慮がなく、ひたすら日本の国益しか考えていない。

その活動振りは地味だが、地球環境に(若干ではあるが)間違いなく貢献している。

具体的には、ゴミを小さくして捨てているのだ。

例えばチリ紙。

我が家では、使用後のチリ紙はチャチャッと丸めて、ゴミ箱に放り込むのが常だった。

紙のゴミも、ほとんどそのままの状態でゴミ箱行きとなっていた。

しかしそれでは、アッと言う間にゴミ箱がいっぱいになる。

その分、毎週二回の収集日に出すゴミ袋の量も、半端ではなくなる。

 

そこで、チリ紙のゴミは、小さく握りつぶして捨てることにした。

また紙ゴミは、細長く折りたたみ、更にそれを小さく丸める。

ただそれだけで、ゴミの量が五分の一ほどに低減した。

これを我が町の自治会員全員が心がければ、ゴミ収集も、ゴミの処分の手間暇も、一気に半減以下になるに違いない。

 

レダ嬢のように、大上段に振りかぶり、大向こうを唸らせる派手なパフォーマンスだけが環境にやさしい活動ではない。

むしろ、グレダ嬢のような訴えは、南北問題、即ち先進国と発展途上国の間の大矛盾を浮きあがらせてしまう。

既に文明の利器を甘受している先進国の連中が、いくら「二酸化炭素を減らそう」と綺麗ごとを言っても、発展途上国では「我々は今から便利さを味わうのだから、勝手なこと言うな」と反発されるのがオチだ。

また環境活動家たちも、今の自分たちの便利さを全て放棄するほどの覚悟もない。

 

実は、環境問題の深刻度は、文明の進化と反比例している。

我々が便利な生活を追求した結果が、世の中の二酸化炭素排出量を増やしているのだ。

さりとて、一旦便利な生活を味わった人間に、もう一度不便な生活をと強要しても、誰も納得しない。

 

小泉進次郎環境大臣が、期待外れの存在だったとガッカリしている人は多い。

確かに大臣就任後の小泉進次郎は、まるで化けの皮がはがれ中身のなさが露呈された。

しかし敢えて小泉進次郎を庇えば、彼には同情するべき点もないことはない。

環境大臣として言いたいこと、やりたいことと、実際にできることにはとんでもないギャップがあるからだ。

小泉進次郎得意の、言葉だけの遊びで、オバチャマたちを騙し果せる世界ではない。

世界が喜ぶことを約束すれば、日本が自ら首を絞めてしまうことになるのだ。

小泉進次郎は、大臣就任後にそんなことをレクチャーされ、身動きが取れなくなってしまったのだ。

 

環境問題に関して、電化製品を使わない生活に戻す以外に我々ができることは少ない。

しかし、既に生活の隅々に生き渡った家電製品を使わない生活を、我慢して受け入れる人は、世界中探してもいないだろう。

今の日本では、ウォシュレットトイレが当たり前だが、これを昔のスタイルに戻して生活できる人は、果たしてどれほどいるのか。

精々、僕のような老環境活動家に倣って、ゴミを小さくして捨てることくらいから、環境意識を高めるしかない。

成功体験からの脱却は難しい

過去に輝かしい成功体験を持った人ほど、一緒に仕事する仲間として扱いにくい。

その成功が、煌びやかであればあるほど、その人はその体験に拘るからだ。

 

しかしその時の成功は、当事者は実力と思っていても、実は多くの幸運に恵まれていたことが多い。

そんな幸運が続くものではないし、環境が変われば、別のやり方を模索するべきだ。

ところが過去に成功体験を持った人は、自分には実力と運があるから、同じやり方で次もまた、同様の成果を上げることができると信じてしまう。

 

成功体験への拘りは、会社の仕事だけではない。

芸能界でも頻繁に起きている。

ビッグヒット作品に恵まれた人は、次もまた同じような作品を作る。

音楽でも映画でも、テレビドラマでも然りだ。

その結果、作品はマンネリ化してしまうが、それでも面白い、魅力的な作品は数えるほどしかない。

それでも当事者たちは、自分の作品はその数少ないものの一つだと信じ込みがちだ。

多くの人が既に飽き飽きしていても、作り手側だけは「これは面白い、素晴らしいから、必ずウケる」と勘違いしているのだ。

 

作家に関しては、三作目が勝負の分けれ目と言われる。

少々文才さえあれば、誰にもそれまでに様々な人生経験があるから、処女作ではそれなりに注目される作品を書くことが出来るものらしい。

二作目は、一作目を若干アレンジすれば、未だ読者の関心を惹きつけられる。

しかし三作目は、それまでとはガラリと変わった作品が求められ、ここから作者の実力がモロに試されると言うのだ。 

 

1996年北海道テレビ制作の「水曜どうでしょう」は、マンネリ番組の典型だ。

このブログで何度か取り上げたが、この番組はローカルテレビ局の深夜に放送されていた超マイナーだったのに、口コミで「面白い」と評判になり、いつの間にか全国区人気番組になった。

そして、まだ学生で駆け出しだった主演の大泉洋を、今やテレビでも映画でも主役を張る人気スターに押し上げた。

実質的なリーダー、藤村忠寿は、単なる一介のサラリーマンの存在を逆手にとり、成功したが気取らないキャラとして、役者業、ユーチューバー業にも進出している。

また、大人気番組のプロデューサーとして講演までこなし、一種の文化人気取りだ。

彼らにとっては、将に「水曜どうでしょう」様々で、この番組のお陰で、業界の成功者の地位を手にした。

だから一旦は番組終了宣言をしても、ファンが待っているとか何とか、適当な理由をつけては、同じような番組を作り続けてしまう。

余りにも成功して全国区番組になり、自分たちも良い思いをしたものだから、今度は引き際が分からなくなったようだ。

そして番組終了後17年が過ぎた今年も、まるで昔の栄光に縋った続編を作った。

しかしその結果は、まるで散々な評価となっている。

 

この傾向は、既に2013年に製作された「初めてのアフリカ」で顕著に表れていた。

それまでのこの番組では、使いパシリ役として、苛められ、いじられキャラが定着していた大泉洋だが、時の経過と共に人気者になり、取扱要注意の重要人物を化していた。

これは当初は予定されていなかった状況であり、「水曜どうでしょう」のコンセプトからは外れてしまうし、それは昔からの「水曜どうでしょう」ファンには通じない。

新しい面白さを追求するには、プロデューサーにも出演者にも知恵がない。

結局この番組は、昔の成功体験そのままに、惰性で制作を続けるか、あるいはそれまでの栄光を捨てて、番組終了を宣言するしか方法はないのだが、彼らは前者を選択した。

 

人気絶頂の時に身を引くのは難しいが、何事も実は惜しまれているうちに去るのが華。

ましてや、少しでも人気に陰りが出たら、そこでジタバタ足搔くのではなく、見事な引き際を考えなければならない。 

多くの偉人が晩節を汚すのもそうだが、成功体験からの脱却ほど難しいモノはない。

楽観と悲観

楽観的、悲観的は、ポジティブとネガティブに近い。

どちらに属するかで、人生の楽しみ方が変わってくる。

 

一般的には、楽観的の方が良さそうに見える。

毎回、辛気臭い悲観論をぶつヤツよりも、威勢がいい進軍ラッパの楽観論の方が、周囲を明るくするからだ。

しかし現実は、楽観論の方がリスクは高い。

 

僕は、超小心者の経営者と一緒に、仕事をした経験がある。

彼は、何か起きるたびに、マイナス部分を見つけ出し、勝手に心配し、警戒する。

毎回同じことを繰り返すので、「大丈夫ですよ」と慰めても、なかなか安心しない。

設備投資などになると、あれこれ不安点を論うので、決定するまでが大変だった。

 

その後任は、打って変わっての楽観主義者だった。

とにかく「理屈より感性」、「弱気より強気」、「管理より自由」を社長方針として発表するほどだから、ケチンボの前任者に比べ、社員に大歓迎されて着任した。

この新社長は僕とは波長が合わず、すぐに別々の仕事になったので、その後は風の便りでしか知らないが、こんなイケイケ路線は、一旦景気が後退するとすぐに破綻する。

製品販売が落ちたら、当然在庫削減を図るべきなのに、この御仁は強気一辺倒を貫く。

景気回復の時に備えるとか称して、在庫を大量に増やしたりするものだから、一気に資金繰りが悪化する事態となり、経営責任を取らされた。

改めて、高度成長期を過ぎたタイミングの事業運営においては、石橋を叩いても渡らないほどの用心が大事であり、根拠のない楽観論の恐ろしさを痛感させた出来事だった。

 

我が家でも、結婚する前の妻は、何度かクイズ番組出場に応募していたらしい。

テレビのクイズ問題には、かなりの確率で正解するので自信があったらしい。

僕に言わせれば、お茶の間でいくら正解しても、収録現場で再現できるものではない。

間違えても何のペナルティもないテレビ視聴の場合と、間違いが絶対に許されない現場では、緊張感が違う。

また一人で気楽に答えるのと、ライバルに先んじて正解しなければいけない環境では、難しさに雲泥の差がある。

 

と、そんなことを説明しても、妻は「私は絶対に大丈夫」と言い張っていた。

幸か不幸か、妻の応募が採用されたことがなく、この論争は水掛け論で終わったが、僕と妻の個性の差が如実に表れた例だ。

 

外国語にしても、同じ傾向がある。

妻は一昔前から、近所の同好会で、暇に任せて中国語を学び始めた。

その後フランス語に食指を伸ばし、最近はラジオ講座でドイツ語にまで挑戦している。

多分片言外国語なのだろうが、実際に海外でそれなりに通じているので、勉強の成果が出ているとも言えるが、それにしても語学の達人には程遠いレベルのはずだ。

僕は、アチコチに手を伸ばすより、一つずつモノにする方が効果的と思うが、妻は「チャンと身についているから大丈夫」と気に留めない。

外国語は、厚かましさが上達の秘訣だから、楽観的の方が向いている。

 

悲観と楽観は、どちらかが優れているわけではない。

しかし、持って生まれた性格に拠る部分が大きいので、急に変われるものではない。

夫婦もそうだが、仕事でもコンビを組む場合に、同じ性格同士だとトラブルは少ないが、間違いがダブルになる恐れがある。

違う性格の組み合わせだと、マイナーなイザコザは絶えないが、双方が牽制し合うので相互扶助になる。