昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

橋下徹と百田尚樹の口喧嘩

橋下徹百田尚樹は、両者とも、思想的には右寄りと思われている。

橋下は日本維新の党の生みの親だし、一時期の百田は、関西の維新を応援していた。

よって、共通項が多いと思われていたが、ここに来て仲違いしたようだ。

 

直接の発端は、橋下が百田のフォローを外したと、Twitterで公表したことだ。

僕は、考えが方が違ってもきちんと議論できる人は大歓迎だし、むしろ違う意見をどんどんぶつけて欲しい。しかし、百田氏のように相手を侮辱する人やハッキリ言わないジメジメした人は嫌いだ。僕の中の日本人像と真逆だ。

 

百田はいかにも未練気に、且つ残念そうに、「橋下は好きだったのに」と返した。

橋下氏がフォローを外してきた。ま、嫌いな人間なら仕方ないな

私は氏を嫌いじゃないし、むしろ尊敬していたんだが…。 私は人を侮辱するところはあるが、ハッキリ言わないジメジメした人ではないと思ってるんだが。いや、そうでもないか

「僕の思う日本人像ではない」とは前にも言われたなあ。

 

これには後日談があり、橋下は百田と仲の良い有本香のフォローも外したらしい。

百田が·

Jan 15

私はかつて橋下徹氏の発言を聞いて、大いにうなづくものが多かった。その代わり、その発言はメディアにはめちゃくちゃ叩かれた。 最近の橋下氏の発言には首を傾げるものが多い。その代わり、その発言はメディアにはまったく叩かれなくなった

と書くと、橋下は、腹の虫がおさまらないようで、百田に対してその後のツイートでも、捨て台詞に近い表現を繰り返している。

Jan 16

メディアが僕を叩かなくなったのは、僕に叩くだけの価値がなくなったということ。一民間人の戯言にメディアは一々付き合わない。かつては権力者としてチェックの対象だっただけ。僕の考え方は当初より一貫しているつもり。ゆえに百田氏の当初の評価が間違っていただけ。最初から合わなかったんだろう。

 

僕の考えが絶対に正しいわけではない。同じく百田氏の考えが絶対に正しいわけでもない。こういうときは、分かりにくい嫌味を相手にぶつけるのではなく、堂々と自分の具体的な意見をぶつけるべき。百田氏がいつもやる相手を侮辱するやり方ではなく。

そしてとどのつまりの、橋下が放った皮肉な一発が、

いっぺん選挙でも出て見れば?

 

だが、ここまで言うとガキの喧嘩で、さっそく有本から

私は多くの政治家と話す機会がありズケズケ言うこともあるが、「じゃあお前やってみろ」などと言う人には会ったことがない。内心でどうかは別にして。私のような取材者、百田さんのような文化人にそんなことを言うのは、言論の自由、批判する自由を封じる行為。言ったらオシマイだとわかっているから。

と切り返された。

有本もまた百田同様に、橋下の言論には批判的だ。

 

橋下対百田、有本は、靖国神社の戦犯分祀を巡って激論を交わしていた。

更に議論は、女系天皇の是非にも飛び火し、お互いを批判する事態となっていた。

ただそれは、あくまで拠って立つ思想基盤の違いからの論争の範囲で、世間によくある、右と左の罵り合いではない。

若干、百田の論調に揶揄めいた部分があったとしても、橋下が敢えて論うレベルではなかったはずだ。

 

ネット社会の常で、両方に熱烈な応援団が付いている。

彼らは、橋下派百田派に分かれ、お互いの親分を褒めちぎり、相手を貶し合っている。

客観的に見て、橋下対百田の論争では、橋下は劣勢だった。

百田に比べて、勉強不足が露呈していたし、主張にぶれもあったが、野人、百田に対して、選挙至上主義のエリート、橋下は、簡単に負けを認める心境にはなれない。

それが、憎まれ口を叩くような行為になっている。

 

しかし実は、一方の百田もTwitterの世界では、大して褒められたものではない。

彼は、自分に否定的な意見を悉くブロックしまくるほど、自己防衛意識が強い。

妙にしつこく絡んでくる常識無しをブロックするのなら、百田の言い分も分かる。

しかし百田は、真っ向からの批判を受け止めようとしない。

例えば彼は、自作「殉愛」を巡る名誉棄損裁判で、最高裁で最終的に敗訴している。

そこを質問されたり、疑問を呈されると、条件反射のようにブロックしてしまうのだ。

百田は、少なくとも作家として、あるいは評論家として、マスコミ媒体を通じて、それなりの能書きを垂れているオトコだ。

当然ながら、彼の言動や主張には賛否両論が入り乱れるはずだし、その中の批判的な意見に対しては、見解を述べるべき立場だろう。

しかしそこで、嫌な意見を退けてしまうのは、日頃は国を憂うる意見の持ち主、百田にしては情けないではないか。

 

僕は、橋下と百田の論争に関しでは、百田に近い考えだ。

一見理路整然としているかに見える橋下の主張は、韓国や同和問題が絡むと、途端におかしくなる。

右翼として首尾一貫している百田に、その矛盾点を突かれると、瞬時に感情的になる。

しかしその百田も、あれほどの人気作家ながら、批判されると気の小ささを露呈するのが残念だ。

記憶力

僕は自分では、記憶力がある方だと思っていた。

ところが結婚以来、度々、妻の記憶力に尻尾をまくことが起きてきた。

そこで、僕と妻と言う実に狭い世界からだけの判断で恐縮だが、記憶力に関しては二種類あるのではと思い至った。

 

一つは、写真に撮るような記憶力で、これは妻の圧勝だ。

将棋の世界では知らない人がいないほどの大山康晴名人は、電線に留まっている雀の数を一瞬で覚えてしまう能力があったらしい。

一目千手とも言われ、全盛時代は誰が歯向かっても勝てない、盤石の強さを誇った大山名人の将棋の先読みは、こんな能力に裏打ちされていたと聞いたことがある。

かなりスケールは小さいが、例えば我が妻も、この記憶能力が極めて高い。

オペラの世界に、アニータ・ラチヴェリシュヴィリと言うソプラノ歌手がいる。

僕は、何度聞いてもこの名前を覚えられない。

と言うよりも、最初から覚える気にならない。

ところが妻は、この名前を一度聞くと、即座に覚えてしまう。

外国の地名も然りで、ドイツ最高峰のツークシュビッツェ山への登山口に、ガルミッシュ・パルテンキルヘン駅がある。

我々夫婦は、この町に二泊しているが、僕はこの駅名を全く覚えられなかった。

面倒臭いから、ガルミッシュ駅、もしくはガル駅と省略してしまう。

しかし妻は、フルネームで覚えていて、即座に駅名が出てくる。

 

一方「あの時、彼はこんなことを話した」みたいな記憶力では、僕の方が勝っている。

僕は、発言した本人が全く忘れているような話題も、発言内容から、その背景まで、実によく覚えている。

例えば先のガルミッシュ・パルテンキルヘン駅だが、僕は駅名は覚えないが、その駅前のアジア料理屋で食べたタイ料理の内容や、店の女主人から「Are you Vietnamese?」と質問され、憤然と「No! We're Japanese.」と答えたことなど、実に臨場感たっぷりに振り返ることができる。

これは同じ記憶力でも、録画ビデオのような覚え方なのだろう。

 

僕は度々、話し相手から「あなたは、そんなことまでよく覚えているねぇ」と感心されるが、ほとんど覚えるに値しないようなくだらないことばかりなので、この記憶力が役に立ったとの実感はない。

記憶力の容量が限られているのなら、くだらないモノは削除する方が良い。

妻の方も、ヤヤコシイ外国名を即座に言えることに驚く人は多いが、だから得をしたことは少ないはずだ。

 

我々夫婦は、記憶力に関しては勝手に自画自賛しているが、各々の人生で、どちらの記憶力が必要なのか、あるいはより有効なのかは分かっていない。

難航する立憲と国民の民主党合併劇

どうでもいい話だが、立憲民主党と国民民主党の合併交渉が、なかなか進捗しない。

生々流転の果てに、今では国民民主党に所属しているらしい小沢一郎は、「合併は国民への約束」などと発言しているが、いつそんな約束が交わされたのだろうか?

両方の党に関心のない当方は、全くカンクルージョン(感狂う)だ。

小沢一郎は、合併の旗振り役を以て任じているようだが、小沢が昔取った杵柄で「剛腕」を発揮しても、双方の思惑違いが大き過ぎて仕切り直しを繰り返している。

 

かってはマスコミに、壊し屋の剛腕幹事長と持ち上げられていた小沢一郎だが、所属する政党の相次ぐ分裂劇で、直今では手兵がわずか5名弱にまで減っていた。

自民党にいれば、総理大臣の座が約束されているとまで評価されていたが、それも田中角栄とか金丸信のような、薄汚い親分が健在であればこその話だ。

後ろ盾が両方とも金線スキャンダルで失脚し、田中派の後継、竹下派の跡目相続でも負けてしまい、小沢一郎自民党を離党せざるを得なくなった。

その怨念から、細川護熙を担ぎ出した連立政権で自民党を下野に追い込み、その後、改革派対守旧派の対立構造をデッチアゲ、民主党政権を実現し、幹事長に納まった時が小沢一郎の絶頂期だった。

しかし民主党でも、強引な政権運営を重ねるものだから、鳩山由紀夫の後継争いで、史上最低総理との悪名高い菅直人にまで負けて、民主党を飛び出していった。

この後は、党名を変えるたびに、まるで坂道を転がるように所属議員が減り続け、それにつれて、主張が反自民党、反安倍政権に先鋭化されていった。

政党の合従連衡では、共産党にまで秋波を送ったとどのつまりが国民民主党入りだ。

ところが、落ちぶれ果てて身を寄せたこの国民民主党が、まるで頼りにならない。

万策尽きた策士、小沢一郎は、国民民主党立憲民主党に売り渡すことで、野党政治家の中に影響力を残そうと足搔いている。

 

ところが国民民主党には、何を根拠にしているのか分からないが、自分たちは立憲民主党と同格だとの思い込みがある。

合併するのなら対等が条件、よって党名は変更しなければならないし、役員構成も同数だと主張して譲らない。

立憲民主党にとっては、今回は持参金目当ての吸収合併しか考えていないので、こんな国民民主党の要求は絶対に飲めない。

金欠の立憲民主党にとって、そもそも国民民主党の魅力は、彼らがため込んでいる政治資金だけなので、「余計なことを考えずにサッサと吸収されろ」が本音なのだ。

 

また両党の所属議員にとっては、この合併劇は一身上の大事件だ。

両党とも、比例復活ゾンビ議員が大量に存在しているが、彼らにとっては、合併後の比例区の順番だけが関心事だ。

仮に合併の結果、自分の順番が下がったら、命綱の比例区復活が不可能になる。

そんな利己的な思いから、両党の合併に反対している議員も多い。

 

しかし合併が進まない一番の理由は、何とも大義名分が見つからないことだ。

表面的には「自民党の一強体制を打破するために、野党が一致協力しなければならない」と言うが、そもそも党名から分かるように、元々は両方とも民主党だった。

 

それが民進党に変わっても行き詰まった時に、山師、小池百合子の口車に乗った連中が国民民主党で、排除されたのが立憲民主党でしかないのだが、今では勿体ぶってところが、原発再稼働や憲法改正などの、政党の根幹となる政策に違いから別々の政党になったと勘違いしている。

今回もまた、希望の党合流のドタバタ劇と同じ、議席目当ての合併がバレると、さすがに国民からは呆れられ、絶対に支持率が上がらない。

何としても、一つにまとまるには、誰もが納得する根拠がなければならない。

しかし、どう探してもそれがないのだ。

本音は、立憲民主党にとってはカネ、国民民主党にとっては選挙対策なのだが、表立っては絶対にそうとは言えない。

その癖に、世間体は気になるものだから、やれ党名がとか、支持率の差がとか、議題だけは豊富だが、いくら侃々諤々の議論を重ねても解決策が見つからない。

 

そもそも両党を合併しても、支持率は10%に遥か届かないのだから、最初からこの話は、ごまめの歯ぎしり程度でしかない。

それを当事者たちだけは、議員としての生き残りとメンツをかけて騒いでいるのだから、始末が悪い。

両党とも、既に時代遅れであり、国民の野党への期待、要請に応えきれないないのだ。

最近の選挙結果で、社会党以来の「何でも反対」政党がお呼びではないことは明白だ。

自民党にとって代わる、具体的な政策を持った野党が求められているのに、やっていることは両党とも、ご先祖様と全く同じ、与党の揚げ足取りだけだ。

これではいくら外観を変えたり装っても、期待される野党像には近づかない。

 

相も変らぬ、野党のゴタゴタ振りに、与党・自民党の高笑いが聞こえる。

両党が妥協の上、何とか合併にこぎつけても、超マイナー野党でしかない。

もしも両党の我が儘が続き、合併がご破算になれば、野党の支持率は更に低迷する。

どっちに転んでも、自民党には何の打撃にもならない。

与党支持者としては余裕綽々の高みの見物で、実にありがたい両党の合併劇だ。

韓国人の中の「割とエエヤツやんけ!」

今回台湾の日月潭を旅行中、男女若者の二人組と会った。

 

実はバスで降りる駅を間違え、本来のバス停まで3kmも歩いて、近所まで辿り着いたはずだが、肝心のそのバス停が分からない。

そこで街を歩いていたアジア系アベック観光客に、英語で「水社ビジネスセンターはどこ?」と質問すると、オトコの方がやおらスマホを取り出し、グーグルマップでその場所を特定してくれた。

その親切さにすっかりうれしくなり「Thank you!」とお礼を言った後、フト思い立って「カムサ・ハムニダ」と声をかけてみた。

するとそのオトコ、一瞬にして満面に笑みを浮かべ、力強く右手の親指をグッとたてて「OK」と応えた。

案の定、韓国人旅行者だったが、親切で感じの良いヤツだった。

 

僕は、自他ともに認める韓国嫌いの人間だ。

世界中の国家の中でも、韓国は、中国以上に断トツで嫌いなので、日本の総理大臣に例えれば、憲政史上最低の菅直人が韓国、ブービー鳩山由紀夫が中国となる。

だから常日頃、韓国が隣国であることの不運を嘆き、韓国とのお付き合いが不要になることをひたすら願っている。

嫌いな韓国人の中でも、誰一人真面な奴がいないのは、韓国の政治家だ。

その頭目が、我らが文在寅大統領なのだが、法相に就任したものの法律違反の見本市だった曹国、頓珍漢な日韓関係改善策を思いついたモノの、両国で大ブーイングを浴びて引っ込めた文悲惨(喜相)議長など、枚挙の暇もない。

韓国の政治家は全て、反日で票を集めるポピュリストばかりで、日本から見て信頼に値する人物など一人もいない。

日韓友好議連で活動中の議員ですら、吐き気を催す政治家ばかりだ。

そもそも大統領経験者が必ず訴追される国家など、韓国以外の先進国ではありえない。

大統領が変わると文字通り身の安全すら危うい韓国社会なので、真面な神経のヤツでは政治家が務まらないのだろう。

こんな輩が、選挙で選ばれているのだから、韓国の民主主義なんて推して知るべし。

朴槿恵は「恨みは千年忘れない」と広言した反日政治家だが、韓国内で親日政治家なんて千年経っても現れないに違いない、

 

しかし実際には、韓国の人口5100万人の全員が、反日でもないだろう。

わずかかもしれないが、中には「エエヤツやんけ」もいるかもしれない。

今回台湾であったアベックがそうだし、最近日本に帰化したラグビーの具智元選手も、話しを聞けばナイスガイそのものだ。

最近知ったユーチューバーのWWNK君も、イイことを言っている。

反日種族主義」の編者、李宗薫も、韓国内の反発や身の危険すら覚悟の上で、韓国人が抱える宿痾の病の実態を告発した。

プロゴルファーの崔虎星も、プレイ振りにもインタビューにも、人柄の良さが現れる。

嘉門達夫じゃないが、「エエヤツやんけ!」なのだ。

 

敢えて日韓関係に希望を持つとすれば、世界遺産に匹敵するような、この希少な親日的な人たちが、韓国内で少しずつでも影響力を増やすことを期待するしかない。

尤も、数えてみると、片手で間に合うほどしか思いつかないが。

アタマの良い人

「あの人はアタマが良い」と、称賛される人は多い。

しかし、アタマが良いとは具体的に何のことかは、人それぞれのようだ。

 

論理的思考で説得力のある話し方をする人は、アタマが良いと思われがちだ。

だから評論家と称するヤカラどもは、実際は無内容、あるいは支離滅裂でも、あたかも起承転結を伴っているかの如く、且つ自信満々に喋る。

詐欺師が人を騙す手段も全く同様の能力なので、評論家と詐欺師には共通項がある。

これは我々の仕事の場面でも一緒で、不安気な態度で話すと、例え正しいことを説明しても相手が心配になるし、上手くいかないケースが多い。

だからプレゼンテーションの場面では、常に聴衆とのアイコンタクトを欠かさず、威風堂々とした態度が求められる。

すると聴衆は、勝手に「この人はアタマも良さそうだし、頼りになる」と信じ込んでくれる。

 

ノーベル賞モノの発見などは 、科学者の発想力、創造力に拠るので、大発明や大発見した人物は、アタマが良いと尊敬される。

だが、往々にして専門バカを露呈することもある。

天才と称されても、変わり者扱いされる人が多いのは、ある部分の能力は極限まで秀でていても、ソレだけに限定されているからで、これは世間知らずになってしまう典型だ。

 

記憶力もまた、アタマが良いかどうかの尺度になる。

学校の成績、即ち偏差値においては、記憶力の差が大きく影響する。

例えよく分からなくても、無理にでも覚え込めば、成績が上がる傾向が強い。

今の教育制度では、理解力よりも記憶力の方が求められるからだ。

要は、単に記憶力が良いだけなのに、世間的にはアタマが良い人と評される。

裁判官や弁護士も同様で、司法試験と言う難関を合格した連中なので、アタマが良いと誤解されがちだが、これは六法全書や法律の前例を覚えただけだ。

カルロス・ゴーン逃亡の手助けをした弁護士や、誰もが首を傾げる判決を下す裁判官などは、アタマが良い人間なら絶対にやらない。

 

似た言葉だが、「人が良い」には、アタマの良さのニュアンスは全くない。

むしろ、お人好しで、些か力量が物足りない場合に使われがちだ。

ところが「人柄が良い」と「柄」が入るだけで、一目置かれた尊敬の念が加わる。

しかし、本当にアタマが良いのは、この人間的魅力にあふれた人の方だ。

きわめて抽象的だが、包容力、コミュニケーション力、批判的思考力、自己管理力、問題解決のためのアイデア力、チームへの貢献力、雑談力、創造性、約束時間を守るなどの能力の持ち主こそ評価されるべきだ。

 

しかも、この種の能力の大半は、先天的なものではなく、むしろ個人の意気込みや努力によって、後天的に得ることができるものだ。

こんな能力の方が、圧倒的に人から信頼されるし、あるいは人とうまく付き合うアタマの良さになる。

人間は努力によって、アタマの良い人になることができるようになっている。

大学選手権明治大学ラグビーの敗因分析

昨年10月W拝以降、急増した俄かラグビーファンの中でも、僕は、他はともかく自では認める、「俄かプロファン」として異彩を放っている(ような気がしている)。

そんな僕だから、12日日曜日から始まるラグビートップリーグを、(生まれて初めて)楽しみにしている。

近所に本拠地を置くチームは、スタジアムに応援に行こうと思うほど、段々、「病膏肓に至る」状態に陥っている。

 

トップリーグを前に、昨日土曜に開催された大学選手権決勝は、実に面白い試合だった。

争ったのが、学生ラグビー界の両雄、早大対明大だったことも、更に興味をそそった。

杮落しの国立競技場に、5万7千人以上の観客が集まったのも宜なるかなだ。

実はこの試合の二日前、たまたまこの両大学出身の後輩と酒を酌み交わした。

当然ながら、大学選手権決勝戦の予想となると、両方とも力が入る。

僕は、レフェリーの立場だったので、双方のメンツを重んじつつ、最終的には「明大の圧勝」を予言した。

以前の対抗戦で、早大をコテンパンに粉砕した明大の強さが印象的だったからだ。

 

ところが、実際の試合展開は、「神の目」とも評判の僕の眼力からは、まるでかけ離れてしまった。

何せ前半だけで31対0と、劣勢予想だった早大が圧倒してしまう。

さすがに後半は、明大が5トライを返して反撃したが時すでに遅しで、早大も2トライしたので、結果は10点差で早大の圧勝となってしまった。

僕の有難いご託宣に意を強くし大いに喜びつつも、「イヤ、早稲田もナカナカなので油断禁物ですよ」と余裕をかましていた明大卒の後輩は、今頃は切歯扼腕だろう。

適当な予想でこの後輩を喜ばせたことを反省しているが、一方では、早大卒の後輩は、絶望の淵からの歓喜を迎えることができたはずだ。

世の中は、実にバランスが取れている(と、開き直る)。

 

翌日の新聞では、明大フッカーの武井主将の「立ち上がりの失点でパニックになった」との敗因分析が掲載されていた。

その他にも、早大#12中野選手が縦横無尽の大活躍をみせ、それを明大が止めきれなかったとの見方もある。

いずれも成程だが、しかし「プロの俄かファン」の敗因分析は違う。

実は、テレビ中継を見ていた人なら気が付いたと思うが、前半の両校のモールのもみ合いの中で、明大#×(敢えて番号は伏せる)のパンツが脱げたのだ。

この選手は、お尻丸出しながらも健気に押し合いへし合いをしていたが、次の場面では、慌ててパンツを引き上げる仕草まで映されていた。

この後、明大#×の活躍の場面はゼロ。

それはそうだろう。

いつ何時、パンツが脱げるかと不安な思いを持ちながらの全力プレイは無理だ。

そしてチーム15名の中に、こんな不安感を持った選手が一人でもいると、全体の力の総結集にはマイナスになる。

僕は、明大の敗因は、選手のパンツが脱げたことであり、明大ラグビーチームが、そのことへの対策が不十分だったことにあると思っている。

 

実は、ラグビーの試合で、選手のパンツが脱げることはたまに起きている。

昨年のW杯決勝でも、見事なほどに選手のお尻が丸出しになったシーンがあった。

ジャパン対アイルランド戦で、ジャパンがスクラムで押し勝った歴史的な瞬間、具智元選手が決めた感動的ガッツポーズを覚えているファンは多い。

しかし繰り返し放送されるあのシーンでも、具智元選手のパンツははだけてしまい、黒のサポーターが丸出しになっている。

具智元選手の場合は、未だサポーターだったので、ちょっと見苦しい程度で済んだが、今回のようにモロ出しになると、放送事故につながる。

実際に、いくらスポーツ番組とは言え、むくつけきオトコのケツを見せられるのは、お茶の間のファンとしても動揺を隠せない。

 

ラグビー人気の高まりとともに、試合中継のテレビ視聴率が上昇の一途だ。

そんな時に、「見苦しいモノが映されたことをお詫びします」事件が発生してからでは遅い。

(誠に老婆心ながら、)ラグビー協会としても早急に、脱げないパンツ対策を講じないといけないと思う。

                               

経済番組などまるで無意味!

正月は、今年一年の経済動向を占う番組が多い。

しかし、こんな予想が当たったためしがない。

 

何故なら、経済学とは、終わったことの解説は得意でも、今後の成り行きなど全く分からない学問だからだ。

よって、大半の評論家、学者は、「今年は厳しい一年になる」としか言わない。

そう言っておけば、結果が当たって厳しい一年だったら「ホラやっぱり言った通りだった」と自慢できるし、外れて好景気になっても、その時は誰もが浮かれていて、外れた予想への批判などないからだ。

経済番組と、お笑いタレントが出ずっぱりの番組は正月の恒例だが、実はこれほどくだらないモノはない。

 

そんな中でも、アベノミクスは、安倍政権の政策の肝なので、「昨年の振り返りと今年の予想」番組で、取り上げられることが多い。

そしてその大半は、「アベノミクスは失敗だ」であり、比較的好意的見方でも「アベノミクスが上手くいっていない部分がある」との指摘だ。

一番顕著なのは、昨年10月の消費税2%アップに対する批判だ。

株価は安定しているし、景況感も悪くはないはずだが、増税が景気を腰折れさせるので今年一年の見通しが暗いと主張する学者の、アベノミクス批判の根拠となっている。

 

この指摘は、間違ってはいないが、さりとて正解でもない。

何故なら、あらゆる政策の中で、トランプのジョーカーやスペードのエースみたいな働きをするものは、絶対にありえないからだ。

 

アベノミクスを端的に言えば、インフレ政策だ。

無論、ハイパーインフレの恐ろしさは、経済政策を失敗した国々で実証済みなので、インフレと言っても2%程度をイメージしている。

アベノミクスを批判する人たちは、この2%が達成されていないと攻撃している。

しかしもしも、2%インフレが達成出来ていたら、今度は、この結果で貧富の格差が拡大したと批判するに違いない。

 

経済に、魔法の処方箋はない。

何かを達成すれば、必ずその副作用が発生する。

アベノミクスも然りで、消費税を上げ、物価を上げながら、景気を穏やかに良くしていく政策なので、その動きに乗り遅れると、落ちこぼれ側になってしまう。

 

アベノミクスは、一面では、間違いなく若者の雇用を大幅に拡大した。

民主党政権までの日本は、就職氷河期で、若者は地獄の就職活動に明け暮れていた。

ところが今の就職環境は、極端なまでの売り手市場に変わり、むしろ労働力確保の方が大問題になっている。

中小企業では移民を拡大するべきとまでなっているのだから、世の中の変化は激しい。

 

僕はリタイア族なので、インフレは困る。

我が儘を言えば、年金はそのままで、むしろデフレの方が有難い。

だから、第二次安部政権については、外交は支持しているが、アベノミクスに対しては、一貫して反対している。

しかしこれは、全くの自分勝手な意見だとも理解している。

産業界にとっては、少しずつ物価が上がり、それに応じて事業が拡大する方が有難い。

だからこそ、株価も安定的にアップしているのだ。

僕のような年金族は、安倍政権の関心の対象からは外れているのだ。

 

こう言うと必ず、「それは違う」との反対意見が出てくる。

「既に株価は破綻しているが、日銀の大幅介入で見せかけで上がっているに過ぎないし、アベノミクスは大失政だ」との主張だ。

これもまた、どこにスポットを当てて、アベノミクスを論じるかの観点の差だ。

 

繰り返すが、全てが上手くいく経済政策などない。

だから経済評論家や学者の意見など、わざわざ時間を取って見たり聞いたりする必要などない。