昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

メルカリに出品すると

僕が読書好きなので、我が家には大量の本がある。

長年に亘って買い込んだので、本棚に二重、三重に保管されている。

本の重さが家の土台に支障をきたすのではと、心配するほどだ。

 

嫁は音楽が好きで、こちらは大量のCDを在庫している。

昔のレコードとは違い、CDはコンパクトで場所も取らないし、さほど重くもない。

しかしこれも程度モノ。

嫁があれこれ次々と買い込むので、居間のチェストには、大量のCDが所狭しと並んでいる。

 

嫁のもう一つの趣味が、オペラ鑑賞だ。

こちらはCDよりも、主としてDVDの出番となる。

多くのDVDは、CDの倍以上のスペースを占拠するので、やはり置き場所が悩みになる。

しかも大きな声では言えないが、嫁の趣味以外に、僕がこっそり集めたエッチ系もチラホラだがある。

こちらは、誰も知らない隠し場所に密かに保管されているので、人目につくことはないが、一定程度のスペースを占拠していることに変わりない。

 

本もCDもDVDも、利用しなければ無用の長物でしかない。

そして最近になって気が付いたが、この本もCDもDVDも、二度読んだり見たりするものはほとんどない。

よほど気に入ったモノは別だが、それでも数回読み直しや鑑賞が関の山だ。

ほぼ全部が、一度きりで役目を終えている。

 

それなのに、なぜ購入し、手元に置いているのだろうか?

この疑問への自分なりの答えは「いつでも読める、いつでも見ることができる」安心感と自己満足ではないだろうか。

僕の本の場合は、更に初版本の付加価値が付いている。

これで、ほとんど誰にも知らなかった時点で、いち早くその作品に注目していたとの虚栄心をくすぐられる。

しかし冷静に考えれば、ちょっとした時間差の自慢に過ぎない。

その本が人気を博したのなら、他と際立って違うと信じていた自慢の感性も、追随した多数派と同じ程度でしかなかったことになる。

 

それでも「ならば処分しよう」とはならない。

二度と見ないモノだけをと言われても、「もう一度見たくなるかもしれない」との自制心が湧くし、捨てると勿体ないケチ根性も芽生える。

そうこうしている内に、また欲しい本やCDを見つけると、衝動買い欲求が抑えきれず、セッセと買い込む。

その結果、二度と日の目を見ない在庫品が、膨れ上がることになる。

まるで悪循環だ。

 

最近になって、嫁がメルカリで断捨離している。

当初は、若いころから集めてきた有田焼磁器が中心で、食器棚はかなりスペースが空いてきた。

次は嫁の衣装に移り、こちらもまたクローゼットに余裕が出てきた。

良いモノ好きだったお陰で、嫁は数十万円の副収入を得たようだが、ぞの全部を私物化しているので、僕がお零れに預かることもない。

 

それではと、僕もまた不要なものをメルカリに出品してみた。

そこで何と、アッと言う間に三点の売却に成功し、一万円以上の収入を得ることになった。

尤も、配送のためのパッキングを嫁が担当したので、分け前をよこせと脅迫されている。

百円単位の端数なら構わないが、嫁の要求は最低でも収入の半分以上なので、今のところ敢然と却下。

しかし敵は、決して諦めないハードネゴシエーターなので、一瞬たりとも油断できない家内緊張状態が続いている。

 

僕の今後の方針は、すっかり嫌気がさした作家、百田尚樹の本を売りに出すことだ。

しかし超人気作家だけに、今までに売れた本の数に比例して、売りたいと希望する輩も多い。

需給バランスからも、例え初版本でも売値は安い。

こんな値段なら、売るのはやめようかと躊躇するレベルだ。

メルカリを利用して小銭稼ぎを考える人には、ベストセラーは却って投資回収額が小さくなる。

 

ただこのメルカリは、本の回し読みと同じなので、作家にとっては迷惑千万なシステムだ。

百田の本を読みたいと思う人が、書店で買うからこそ、作家は潤う。

しかしその人がメルカリで買えば、作家にとっては新たな売り上げにはならないので、利益も増えない。

メリカリに出品すれば、結果として作家の足を引っ張る。

これはCDもDVDも同じだ。

 

日本の文化芸術のためには、メルカリに出品するべきではない。

しかし小銭を稼ぐためには、そんな綺麗事は通用しない。

ハムレットの想いの僕は、深い悩みに苦しみながら、いそいそと出品する本を探している。

ケント・ギルバードと言うオトコ

僕は今を去ること六年ほど前、半年ほどモルモン教の教会に通ったことがある。

但し、常に「熱心な無宗教徒であり、且つ敬虔な無神論者」の僕なので、キリスト教に興味があったからではない。

リタイア後、年金暮らしの身には、この協会がボランティアでやっていた、無料の英会話教室が魅力的だったからだ。

ベラベラ英語使いになるにはもっと続けるべきだったが、そこに集まってくる生徒に胡散臭い奴らが多かったことに嫌気がさした。

更には、講座終了後に必ず「アーメン!」と、信じてもいない神様に感謝の祈りを捧げることも、神道無宗教徒には耐えがたかった。

やはり、タダで学ぶことができる環境は、ロクなものではない。

 

ただ、教師役の若人宣教師たちは、全員が実に爽やかで感じ良かった。

この若者たち全員が、ユタ州モルモン教総本山が派遣した、宣教師か、宣教師見習いだ。

テレビで見た薄汚いオウム真理教信者のイメージとは違い、悉く礼儀正しく、且つ服装もキチンとしていた。

昼間の彼らは、基本的に街頭にも出かけ、呼び込みやポン引きと同様に、若者に声をかけ、モルモン教会に誘う。

呼び込み、ポン引きとの違いは、彼らの服装がほぼ背広姿の正装に近く、且つ必ず二人組なことだ。

「神様を信じますかァ?」と、たどたどしい日本語で話しかける。

ただ、見知らぬ外国人には警戒心の強い日本人は、そんな呼びかけにホイホイとついていくことは少ない。

モルモン教の若者にとっての路上勧誘は、早く日本に慣れると同時に、クソ度胸を身につける訓練だったようだ。

 

ケント・ギルバードは、そんなモルモン教の宣教師として、日本に来日している。

当初の二年間は、北九州市小倉で布教活動をしていたらしい。

宣教師としての任務終了後に一旦帰国したが、日本に好意を持っていたケント氏は、三年後に 経営コンサルタントとして再来日した。

しかし本業の方はパッとせず、むしろテレビ出演で人気者になった。

その後はテレビタレント業より、保守派論客として活躍している。

 

今回のアメリカ大統領選挙では、投票結果が判明するまでのケント氏は、熱心なトランプと共和党支持者だった。

しかし4年前の選挙では、息子の説得で最終的にはトランプに投票したものの、直前までトランプには批判的だったらしい。

今回はアメリカの選挙情勢分析の上、自信たっぷりでトランプ勝利を予想していたが、結果はバイデンが圧勝した。

 

ケント氏と多くのトランプ支持者との間に、意見の相違が出たのは、この選挙結果の解釈を巡ってだ。

大半のトランプ支持者は、今回の大統領選には大規模な不正があったと主張した。

しかしケント氏は、アメリ憲法を順守する弁護士としての見解から、バイデン勝利を認めた。

法律家ケント氏の見方は「トランプが告訴すれば、ペンシルバニア州だけは勝ち目があるが、その他の州では無理」だったが、現実はそのペンシルベニア州でもトランプは敗訴した。

ここからケント氏は、トランプ支持者が多くが盲信している、バイデン陣営による組織的大規模不正選挙はなかったと断言した。

まさしく結果は、ケント氏の言葉通りの展開になったが、ケント氏はその代償として、トランプ派から裏切者扱いされ非難された。

しかし数多のYouTuberたちが、まるで無内容なトランプ逆転を夢想していた時に、孤立を恐れず正論を吐き続けたケント氏は、今思い返しても一番信頼に足る人物だった。

 

ケント氏はまた、日本の再武装・自主防衛や憲法改正を力説する。

韓国の言う慰安婦や応募工賠償や、中国の南京虐殺事件の欺瞞性も指摘し、中韓両国は嘘ツキだと痛烈に批判している。

単なるモルモン教宣教師に過ぎなかったケント氏は、一体どのような経緯で親日外国人になったのか?

 

元々のケント氏は、今ほどの右寄り体質の保守ではなかったらしい。

しかし長らく日本に住む間に、日本の素晴らしさや、日本人のやさしさを実感し、日本の大ファンに変わっていったようだ。

更に、朝日新聞慰安婦問題の捏造記事が明らかになった時点で、反日の韓国、中国とは決別したと言う。

いずれにしても、ケント氏のような冷静沈着な意見の持ち主が、日本のために体を張った論陣を展開してくれることはありがたい。

 

今回のアメリカ大統領選では、保守派の中にも陰謀論や、証拠もないまま自説に拘る連中の存在が明らかになった。

そんな保守派の中で、ケント氏の意見やケント・チャンネルで発信される情報が、最も信頼性が高かったことは紛れもない事実だ。

今の僕は、ケント・チャンネルに熱心な視聴者だ。

そして僕の英会話教師だったモルモン教宣教師の若者の中から、一人でもケント氏に次ぐ人物が現れたら、生徒冥利に尽きるモノだ。

面食い嫁と面食わず知人の差

仕事をリタイアする時、後輩連中が送別会を催してくれた。

その時の幹事たちは、僕に内緒で密かに我が嫁を訪ねて、会社の誰も知らない僕の日常生活や、結婚の馴れ初めについて聞き出し、サプライズ企画で参加者に公表した。 

そこで、二人の結婚の切っ掛けを質問された嫁の答えは「この人と結婚したら面白いと思った」だったらしい。

 

しかし僕は、この答えが嫁のテレ隠しのウソなのを知っている。

彼女を結婚に駆り立てた真の理由は「単なる面食い」だったからだ。

間違いなく、そのはずなのだ。

ところが、我々の結婚生活は、間もなく50年の金婚式を迎えるほど長く付き合ってきたが、嫁は頑としてそのことを認めない。

だが世間の思いはそのはずだし、何より僕本人がそう確信している。

これほど確かな証拠はない。

 

我が嫁は面食いのはずだが、それとは真逆の「面食わず」が人生哲学としか思えない嫁の知人がいる。

何せ、中学、高校生の頃から、彼女のボーイフレンドと言えば、妙チキリンな顔の奴ばかり。

「ブサイクなオトコだけ命」と、狙い定めているとしか思えない。

 

尤も彼女もこの嗜好には「ハンサムなオトコは努力しない」との、彼女なりの理屈と信念があるらしい。

彼女は年頃になって以降も、この人生哲学を墨守し、どう見てもハンサムからは程遠いオトコと付き合い続けた。

そして彼女なりに様々な紆余曲折を経た上で、最終的に伴侶として選んだ相手は、プロレスラーのキラー・カーンに似たオトコだった。

f:id:Sadda_Moon:20210129184730j:plain

こんな感じのご亭主

結婚後の二人は、学習塾を始めた。

そこでキラー・カーン君は、彼女の見立て通りの努力と才覚ぶりを発揮し、地元では名の通った有名塾に育て上げた。

ところが努力家のキラー・カーン君は、いつまでも単なる塾経営者では物足りなくってしまった。

そこで塾経営権は他人に譲り、有名自民党議員の秘書に転身し、政治家の道を志した。

そしてここでも努力家ぶりを発揮し、時の自民党超々大物議員に気に入られることになった。

そこでその超々大物議員から打診されたのが、キラー・カーン君の出身地からの国会議員立候補だ。

そこは長らく、自民党大物議員の地盤だったが、その議員が引退することになったからだ。

大物議員だけに、自民党の後援会は整備されている。

キラー・カーン君は、次に選挙さえあれば、国会議員間違いなしの地位まで辿り着いた。

ここまでの経緯だけでも、徒手空拳で事業を起こし、議員様直前に至ったキラー・カーン君は、只者ではないことが分かる。

ブオトコ狙いに徹した「面食わず」彼女の慧眼たるや恐るべし!

 

ところが、好事魔多し。

なんとこの直後、日本中を騒がせた大型疑獄事件が明らかになった。

マスコミが連日、与党大物議員を追及した結果、キラー・カーン君の後ろ盾のはずだった自民党の超々大物議員が失脚してしまった。

キラー・カーン君の出馬も見送りになり、他の有力者の支援を受けた候補者に差し換えられた。

ほぼ手中にしていた国会議員の地位が零れ落ちたのだから、本人は落胆ぶりは気の毒なほどだった。

 

だがその後キラー・カーン君は、またも努力の人の本領を発揮する。

国会議員には成り損なったが、独学で某外国語を学び、間もなくベラベラ会話できるレベルになった。

その後は、某国で学術論文が認められ大学教師に迎えられ、田舎大学ではあるが教鞭をとっている。

 

本人は立ち直ったようだが、国会議員夫人を夢見ていた「面食わず」彼女の失意も半端ではない。

キラー・カーン君が愛人騒ぎを起こしても「その程度はオトコの甲斐性」と、歯牙にもかけなかった。

自転車にも乗れないほどの運動音痴だったが、キラー・カーン君の選挙活動応援の島巡りのために、舟の操縦資格まで取った。

到底上手くなる見込みもないのに、ゴルフの練習まで通った。

全てキラー・カーン君が国会議員になった時、内助の功を発揮するための努力だった。

その全てが台無しになってしまった。

教授夫人だって大したモノのはずだが、彼女にすれば、国会議員夫人とは比べようもない。

「もはやこれまで」と、別居したまま、現在に至っている。

 

「面食い」だった我が嫁の結婚生活は、大したドラマ的盛り上がりもなかったが平穏だった。

「面食わず」だった知人は、波乱万丈の面白さはあったかもしれないが、夢は実現できなかった。

やはり選んだオトコの顔が、勝負の分かれ目だった。

ただ残念なことに、嫁は「面食い」を頑なに全面否定するし、僕の周囲からも「苦笑しながら消極的な同意」しかない。

僕以外の全員が、真実に目を背ける。

それが不満だ。

親日韓国人YouTuberへの疑念

韓国人は全員が反日だ。

長らく、そう思っていた。

 

しかし中には奇特な韓国人もいるモノで、日本留学中に親切な日本人と巡り合い、韓国で思っていた日本と日本人への印象が変わったと、親日宣言して話題になったYouTuberがいる。

彼は、韓国の矛盾した反日教育の内容を批判した本を出版し、世にも珍しい親日韓国人YouTuberとして有名になった。

僕もチャンネル登録して、彼のYouTubeを楽しんでいた。

 

ところがその彼が、緊急的にアップしたYouTubeを見て、残念な思いに駆られている。

彼はYouTubeで、比較的仲が良かったKAZUYAを批判したのだ。

その内容は、

アメリカ大統領選で不正があったのは明らかだ

・中国、イタリアの外国勢力が不正に関与した

・それなのに、不正がなかったと言うのは納得できない

・小さな不正だからと言って、許されるものではない

・一件でも不正があった以上、選挙結果は認められない

・不正の指摘は陰謀論と片づけてはいけない

・むしろ不正がなかったと言う方が陰謀論

と、多くの「勝ち組」連中の主張と大同小異の内容だ。

 小さな不正も許せないとは一見正論だが、現実離れの理想論だ。

「不正がなかったと言う方が陰謀論」とは、どのような論理構成の結果なのか分からない。

 

彼もまた、最初に「不正ありき」論から、一歩も抜け出していない。

中国やイタリアなど、外国からの不正関与など、もはやアメリカでは破産した主張なのだ。

本当に彼が、不正の証拠を知っているのなら、それを出せば良い。

残念ながら彼は、ネットに溢れ返った胡散臭い情報を基に、不正があったと信じているに過ぎない。

 

アメリカでは、不正を疑われたドミニオン社が、フェイクニュースを垂れ流した連中を告訴し始めた。

途端に、それまで「ドミニオンこそ不正の温床」と情報を発信していた連中が、続々とSNSからその記事が削除し始めている。

ドミニオン不正を力説していた連中の首筋は、薄ら寒くなっている。

 

そんな中で、この親日韓国人YouTuberが、突然に不正選挙を言い出した理由は何なのか?

ここには、長らく噂されていた、YouTubeへの訪問者稼ぎ問題が横たわっている。

この二か月半の間、トランプ支持、トランプ逆転の内容をアップすれば、訪問者が激増することがデータとして証明されている。

ネット界隈では、それほどトランプ人気が高かったし、トランプ再選を願う人が多かった。

 

実際に、無名YouTuberが「トランプが逆転する」との情報を配信すると、これを見つけた百田尚樹Twitterで褒めちぎり、途端に訪問者が急増したと、多くのYouTuberが認めている。

またネットで不正選挙と力説したYouTuberの中で、更に百田の眼鏡を適った人物は、百田チャンネルのゲストに招かれ、一気に知名度を上げた例も複数ある。

逆にトランプの敗北を認めると、袋叩きの目にあい、一気にフォロワーが減り、低評価マークが集中するネットリンチも盛んだった。

 

だからYouTuberたちは、ちょっと考えれば胡散臭さが分かるはずの、

・米軍がフランクフルト急襲してサーパー押収

・その時銃撃戦で死者発生

・CIA長官が逮捕されグアンタナモ基地で取り調べ中

・クラーケン発動

・ペンス副大統領が選挙人名語受け取り拒否

・ナンシーペロシ逮捕

・カナダ、テキサスに25万人の中国人民解放軍集結

・トランプがテキサスで武装蜂起

などのネットニュースを、無批判に垂れ流し続けた。

 

将に、訪問者稼ぎに他ならない。

YouTubeのシステムは、チャンネル登録、高評価、訪問者数で、実入りが違うらしい。

だからYouTuberたちは全員が異口同音に、チャンネル登録と高評価ボタンを押すことを求めてくる。

 

この親日韓国人YouTuberは、韓国人にしては極めて珍しく、韓国に対して批判的だし、日本への理解も深かった。

しかしアメリカ大統領選挙への姿勢を見ると、単なる訪問者稼ぎが目的ではと思わせた。

そしてそれは、彼の対韓国、日本への姿勢も同じなのではと疑念につながる。

YouTube が唯一ではないが最大の収入源の場合、訪問者が喜ぶネタを優先してはいないだろうか?

 

もしそうではないと言うのなら、彼はアメリカ大統領選が不正だとの確たる証拠を出すべきだ。

それがない限り、一部のトランプ支持者からは一時的な高評価を受けても、いずれはYouTuberとしての信頼はなくなる。

風の力

ある程度の年配の人なら、「誰が風邪を見たでせう」で始まる歌があることを知っている。

改めて調べると、なんと西條八十の作詞だった。

 

  ♫誰が風を見たでしょう

  ♫僕もあなたも 見やしない

    ♫けれど木の葉を ふるわせて

 ♫風は通り抜けてゆく

 

  ♫誰が風を見たでしょう

  ♫あなたも僕も 見やしない

  ♫けれど樹立が頭を下げて

  ♫風は通りすぎてゆく

 

僕は長らく、眼に見えないモノを信用しなかった。

矢追純一には悪いが、幽霊やUFOは実在しないと確信していた。

その昔、知人が気功に凝り、どこぞの行きつけの寿司屋の大将がその道の達人で、訓練すると健康になれると言いだしたことがある。

彼は熱心に、一緒に気功を学ぶことを勧めてきた。

だが「見えない気の流れをコントロールする」など、如何にも胡散臭いとしか思えない。

端から相手にしなかった。

 

しかしその後、ゴミ削減が社会問題化したことで、この世には見えない力が存在することを実感した。

それは、風の働きについて考えたことが切っ掛けだ。

それまで、風が吹いているとか、無風だとか、余りにも当たり前の現象なので、ゴルフプレイ中くらいしか関心がなかった。

 

しかしこの頃の世相で、ゴミ問題が深刻な事態を迎え始めた。

日常生活で大量に発生するゴミを減らさないと、いずれは社会全体がゴミで溢れ返るとの危機感が高まってきたのだ。

「皆さん、できるだけゴミを出さない生活スタイルに切り替えましょう」との、意識改革運動が盛んになった。

 

実は、日常生活で発生するゴミは、人間の意識と努力次第である程度の削減が達成できる。

しかし巷には、自然に発生するゴミも多い。

洪水時のヘドロの堆積もそうだが、身近で一番典型的なのが枯葉だ。

 

落葉植物は、冬になると大量の葉を落とす。

我が家でも、道路に落ちた枯葉を掃除することが、冬の日課だ。

しかしこの程度の作業で、落葉の全てを回収できるはずはない。

我々は、掃き掃除で処理するよりももっと多くの枯葉が、いつの間にかどこかに移動していることを知らないだけだ。

 

それは、将に風によって、どこかに吹き飛ばされているのだ。

枯葉は、風によってたどり着いた場所で、雨風に晒され腐敗し、肥料となって自然に帰る。

風は、人間が目的意識的に処理するよりも遥かに大量の枯葉を、いずこともなく運び去り処理している。

死期を悟った象は自らの意思で、誰も知らない象の墓場に行くと伝えられる。

枯葉は風の力で、枯葉の墓場に集められ朽ち果てる。

象も枯葉も、最期はロマンに溢れている。

 

ところが、自然サイクルの中で貴重な仕事をしている風だが、誰もその姿を見ることができない。

太陽光線も、雨も、水も、自然の恵みは、人間の眼で確認できる。

しかし風だけは、気圧の変化で起きる空気の流れらしいが、他の自然現象と違って、全く人間に見えないのだ。

 

その時に思い出したのが、「誰が風を見たでせう」の歌だ。

確かに、風を見た人はいない。

しかし見えていなくても、肌で感じたり木々の動きを見ることで、風の存在は確認できる。

見えないモノにも、間違いなく力があることが分かる。

風力発電は実存し、風をエネルギー源として電力を生み出している。

風は力だ。

 

目に見えないから、力がないことはない。

ならば、気功もありうる。

祈りも、力になる。

宗教が人を助けたり、人を争いに搔き立てるのは、見えない神の存在と、その力を信じるからだ。

 

そう考えて聞くと、西條八十の歌詞は、実に奥深い。

マルクス唯物論弁証法では、絶対に辿り着くことのない境地だ

 

映画監督Fとの絡み

Facebookで、先に紹介したM氏以上の有名人がいる。

映画監督Fだ。

 

しかし本業のはずの映画監督業では、全く見るべき実績がない。

ネットで「唯一の作品」と紹介されている代物は、世間的には誰にも知られていない。

風の便りによると、見るも無残な集客数と低評価だったらしい。

 

彼が有名なのは本業ではなく、ネット上での異常なまでの粘着性だ。

僕も一度絡まれたが、コメント欄で自分と違う意見を見つけると、驚くほどの濃密さ、しつこさで反論を書き込んでくる。

とにかく相手をやっつけないと気が済まない性格のようで、ことあるごとに「論破した」宣言を繰り返す。

まるで、うつみみどりの「ロンパールーム」みたい。

 

この癖は昔からのようで、Twitterでは永久追放処分との噂がある。

最近のドナルド・トランプ現象を、10年以上も前に実現していたことになる。

そう考えると、ネット界ではそれなりの人物だ。

 

また彼の性癖は、衆道男色とも言われている。

本人が認めたとか、プロファイルに書かれているとか言われているが、これは確認したわけではない。

このキャラもまた、モーホーネタでツッコミ満載なので、彼が反対派を惹きつけてやまない部分だ。

 

Facebookには、そんな彼と激論を戦わせ、両者一歩も譲らないママ喧嘩別れになった人がたくさんいる。

その多くが、最終的に彼にブロックされたようだ。

そこで有志が「大監督にブロックされたグループ」を作った。

そこでは、100人以上のメンバーが集まり、毎回F監督を肴に面白おかしく経験談を語り合っていた。

いつまでもそんなグループが盛り上がりを見せるところからも、彼の注目度が分かろうモノだ。

 

僕は、単なる興味本位でそのグループに参加していたが、しばらくの間、F監督は鳴りを潜めていた。

グループ内では病死説や自死説まで出ていたが、実情は、ある人に余りに粘着しすぎて、Facebookでアカ停処分を喰らったようだ。

 

そのF監督が、久しぶりにFacebookに登場してきた。

あるサヨクが「トランプが負けたら小説家引退」宣言した百田尚樹に、約束を守れと投稿した。

このオトコも愛称「チリチリ」と言われるFacebook有名人の一人。

常に中国・韓国を慮り、政府与党を口汚く罵るサヨクと、中韓を敵視し日本万歳の百田の間に、共通項などあるはずがない。

サヨクにとっては、百田を社会的に葬るチャンスと見たようだ。

 

僕は、この間のアメリカ大統領選についての百田の言動には失望しているが、さりとてこのチリチリサヨクの意見にも与しない。

・百田は小説家

・あることないこと面白おかしく仕立て上げるのが仕事

嘘八百を並べ立てたとしても、小説家を引退する必要はない

・むしろ百田が引退するべきはTwitterへの投稿

・こちらは、インチキ情報を垂れ流した責任がある

と、チリチリ論批判のコメントを書いた。

 

すると何としたことか、このコメントにF監督が「いいね」マークをしてきたのだ。

長い沈黙を破って満を持しての最初の投稿が、百田批判関連だったことに、F監督の政治信条が良く表れている。

それにしても、F監督の「いいね」を貰った人など、不倶戴天の連中が集まる先のグループには皆無のはずだ。

トランプのTwitter投稿に、中国共産党習近平が「いいね」をしたようなものだ。

 

自称生粋の保守派が、ゴリゴリのサヨクに褒められる。

これは名誉なのか、はたまた恥辱なのか?

誠に悩ましい。

自粛要請をぶっ飛ばせ!あるラーメン店の反乱

ラーメン大好きだが、もう歳なのであちこちと食べ歩くことはない。

残った人生でラーメンを食べるチャンスは少ないだろうから、もしも初見の店で外れだったら勿体ないと後悔しそうだからだ。

そんな訳で、訪れるラーメン屋は、ほぼ三店に限られている。

 

一番のお気に入りは「永福町大勝軒系」の店。

一週間に一、二度は食べに行くし、お持ち帰りは毎週購入している。

二番目は「二郎系」の店で、一か月に二度くらい。

三番目は「家系」の店で、一か月に一度。

 

ラーメン店行脚の頻度はそんな程度だが、昨今の緊急事態宣言が、精神的にも実際上も重しになっている。

店の方が、自粛要請を受け入れ、営業時間を短縮しているからだ。

大勝軒系は昼だけの営業に限定していで、後は、お持ち帰り商品で売り上げ減をカバーしている。

二郎系は、要請通りに、午後8時までの自粛営業だ。

 

ところが、三番目の家系は違う。

「午前1時まで営業を続ける」と、わざわざ声明を発表したのだ。

当然ながら、賛否両論が寄せられる。

 

賛成派の言い分は、至極簡単だ。

・1時まで開いているのは有難い

・さすが、家系

・必ず食べに行きます

 

一方の反対派は辛らつだ。

・感染者が出たらどう責任を取る

・役所に訴えてやる

・こんな時でも儲け第一主義とは呆れる

・そんな店、二度と行かない

 

家系の店主は、

・午後8時以降の営業で感染が拡大している証拠でもあるのか

・罰金の50万円や100万円なら払ってでも営業を続ける

・最後は、客が判断してくれる

・こんな時も営業することで従業員が何かを感じるはず

と、実に意気軒高だ。

 

当方は、贔屓の店の所為もあるが、この家系の主張に賛同している。

「緊急事態宣言、自粛要請、何するものぞ!」

「我々は信念に基づいて、深夜まで営業するぞ!」

そんな店主の心意気、大いによし!だ。

 

そもそもガースー政権の武漢肺炎対策で、真面だったものはない。

Go toがそうで、観光業界やその関連業界にせっかく効果が出ていたのに、マスコミ世論に押されて中途でやめてしまった。

緊急事態もそうで、野党に迫られた結果、日本や地方経済に及ぼす悪影響など無視して、突然宣言した。

 

営業時間短縮で困った店には、補助金を出せば良いとの意見がある。

しかし特にラーメン屋のような飲食店では、常連が離れるかもしれないリスクは、将来を左右する死活問題だ。

しかも、自粛すれば感染が減ると、約束されたわけでもない。

 

店主は「万全の感染対策をとっている」とも話している。

実際に入店にはマスク必着だし、手洗い用の消毒器も完備され、換気にも気を遣っているらしい。

この店が好きで通っている客側も、精一杯の協力を惜しまない。

ここまでやってクラスターが発生すれば、その責任の全てが店にかけられ、評判がガタ落ちになるからだ。

店だって客だって、感染防止に必死なのだ。

 

一件くらいこんな根性の座った店があり、お上に対して「自粛の要請ならお断りです」と、啖呵を切る店主がいてもいいではないか。

当方、この店に通う回数をもっと増やすことにしよう。