昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

そうは言っても不憫でネェ

A家の結婚騒ぎは。ますます混迷状態になっている。

 

ただ国民の意向は、極めて単純明快だ。

「この結婚には、ゼェッタイに、ハ・ン・タァイッ!」

何と世論調査では、97.6%が結婚に反対している。

あの世界一の反日国、韓国ですら、東京五輪ボイコット支持は71.9%しかない。

二者択一のケースでここまで数値が片寄ると、では賛成している2.4%は一体どんな人なのだろうかと気になるほどだ。

マァ当方は、付和雷同でワアワア騒いでいる方なので、この結婚には97.6%の反対派中の一人でしかないが、この結婚が強行されたら、A家にとっても日本の皇室にとっても、致命的なダメージが残るとの危機感を持っている。

 

しかし、しかァしだ。

そうは言ってもこの期に及んで、この結婚話をなかったことにできるのだろうか。

 

その理由は、法的な解釈からではない。

A家の内部事情を、斟酌するからだ。

そしてご令嬢様の将来を儚むからだ。

 

この度のご令嬢様と婚約者君が、大学で初めて出会ったのが12年前。

婚約者が、狙いすましてナンパしたことが、お付き合いの発端と言われているが、この点はA家ご両親のケースのデジャブだ。

その後、婚約者がご令嬢のご両親、即ちA家を初めて訪問したのが8年前。

晴れて、婚約の議にまで辿り着いたのが4年前。

しかしそれから、全く事態が進まない。

皇族の場合、納采の儀が執り行われることで正式婚約となるが、4年間も経過したが、その目処すら立たない。

むしろ、事態は悪化の一途なのだ。

 

しかしその間に婚約者の方は、不可思議なほどに華麗なキャリアを積み重ねている。

ICU卒業後、学生垂涎の超一流銀行に入行し、その中でも超エリート社員が集まる超一流職場に配属された。

しかしどんな風の吹き回しか(一部には、ボンクラのため激務についていけなかったとの説があるが)、そこから弁護士の道への転身を模索する。

すると日本でも超有名な法律事務所のお抱え見習い社員になり、その会社の支援で何とアメリカ大学への留学まで決まる。

その大学では、学園でたった一人の特別奨学生になり、提出論文は準優勝をとる。

ここまで煌びやかなキャリアなら、皇室のお嬢様と結婚するには十分だ。

尤も篠原常一郎に言わせると、これは全て、娘婿に「皇室の婿殿としての箔」をつけるために、A家が裏から手を回した結果らしい。

 

しかしそんなA家必死の縁の下の努力も、母親を含む婚約者の家庭環境のややこしさの所為で、全て無駄になりそうな雰囲気だ

婚約者とその家族を巡る様々なゴシップが、嫌になるほど噴出しているからだ。

当初はこの二人の結婚に好意的だった日本国民は、余りのスキャンダルにすっかりドッチラケで、とても祝福する気分にならない。

どうにもこうにも、この二人が首尾よく結婚に辿り着くことは難しい。

 

しかし良くも悪くも、あそこまで二人の濃密な関係が世間に知れ渡ったのだから、仮に結婚がダメになると、お嬢様だって「ハイ次」みたいな気持ちにはなれないだろう。

その時にお嬢様の新しい相方を探し出すのは、絶望的に困難だ。

お嬢様が絶世の美女だったり、気さくにお付き合いできる人なら、新たな恋が芽生えるかもしれない。

ただこのお嬢様の場合、10年以上に亘ってただひたすら、一人のオトコを思い続けてきたことが、日本中に知れ渡った。

そんなお嬢様を相手に、花婿候補として「私は如何でしょう?」と名乗り出る勇気ある男性はいるのだろうか。

お嬢様の年齢も、もはや三十路。

昔に比べれば結婚適齢期は遅くはなっているが、花も恥じらう年頃は過ぎ去っている。

そんな訳でお嬢様は、この結婚が破談になれば一生独身を覚悟しなければならない。

 

親として、そんな決断を躊躇する気持ちは分からないでもない。

そうは言っても、何とか二人を結婚させられないモノか。

今迄の自分の行状や、家庭教育の失敗を非難され、孤立無援に陥ったA宮殿下の悩みは、下衆の当方にも分かるような気がする。

しかしお気の毒だが、それも全て自ら蒔いた種。

皇室、皇統を守り抜くためには「泣いて馬謖を斬る」しかないだろう。

グッジョブ日本政府!台湾へのワクチン支援

武漢ウィルス対策では世界トップクラスの評価を受けていた台湾で、変性種ウィルス感染者が急拡大している。

航空会社の乗務員経由で、持ち込まれたと言われている。

早速、台湾政府を挙げて対策に取り組み始めた。

この場合に、最も素早く確実な効果が期待できるのがワクチン接種なのは、古今東西異論を待たない。

しかしこの時期までくると、世界的にワクチンが不足している。

当然ながら台湾政府も、ワクチン確保が思うに任せない。

そんなワクチン需給バランスから、世界各国の行動指針が見えてくる。

 

結論から言えば、日本が台湾へワクチン支援を決定した。

その内容は、国内で認可はしたが使用予定のない、アストラゼネカ品を融通するもの。

台湾は今まで、そのアストラゼネカワクチンを使用している。

6月4日、第一弾の124万回分が、台湾に到着した。

台湾の人口は23百万人くらいだから多くはないが、韓国が4兆円以上のお土産を出しても、アメリカから入手できたのが55万回分だったを考えると少なくはない。

 

台湾にとって最も頼りになるはずの、兄貴分国家アメリカは、

 ・先ずは隣国カナダとメキシコ

 ・次はQUAD四カ国

 ・ついでに文在寅から物乞いされたので、韓国軍人だけに55万回分融通

 ・支援したいが台湾分はない、スマン!

 

中国

 ・台湾が交渉中のドイツメーカー分を横取りして邪魔

 ・中国ワクチンを融通するから大丈夫

 ・日本からの融通には、余計なことするなとイチャモン

だったが、台湾国民は「中国製?そんな物騒なモノ絶対にヤだ」と拒絶反応を示す。 

と言う訳で、蔡英文政権相手にヒステリーを起こしている。

 

韓国

 ・ウリは既に一人当たり2.7回分を確保しているニダ

 ・アメリカが融通を百万回分に増やしたニダ(と欣喜雀躍)

 ・だけどそれは韓国軍人分だけニダ

 ・韓国も台湾同様に、アストラゼネカワクチンを使用中ニダ

 ・それなのに日本が台湾を依怙贔屓するのは怪しからんニダ

と、ギャーギャーギャーの火病発症中だ。

 

日本でも、日本が台湾を支援することを快く思わない連中がいる。

日本で使用しないアストラゼネカワクチンを、台湾に融通するのは偽善との理屈だ。

しかしこの連中がどう言い繕おうとも、これは中国への慮りだ。

このまま日本と台湾間の関係が深まれば、中国にすれば目の上のたん瘤が大きくなる。

中国のご機嫌を損ねたくない一心で、日本の好意に難癖をつけているのだ。

 

しかし冷静に考えて欲しい。

日本に災害が発生した時、福島原発事故が発生した時、真っ先に支援の手を差し伸べたのは台湾だ。

戦前の韓国、台湾と日本の関係は同じだったが、その後、韓国は世界一の反日国家、台湾は世界一の親日国へと変わっていった。

隣近所で、困った時に真っ先に駆け付け協力してくれる家と、常日頃文句ばかり言ってカネを強請る家の、どちらと付き合いたいかは考えるまでもない。

 

今の国際環境は民主主義対専制主義の対立が、抜き差しならないレベルに至っている。

そこで日本が置かれた立場は、民主主義国家群の一員として、如何に中国の軍事的脅威から国家を守るかが喫緊の課題だ。

バランサーを自称して蝙蝠外交を繰り返した挙句に、両陣営から不信感を持たれて進退窮まっている韓国の現状は、日本が最も避けるべき姿だ。

 

日本にも、中国との経済交流重視を理由に、米中双方にいい顔をする外交を唱える日経連や経済人がいる。

しかし、いくら日本企業が中国国内で利益を上げても、それを使えるのは中国国内に限定されている。

決算上は利益を計上しても、日本国民には絵に描いた餅に過ぎない。

それでも中国を重要視しなければならないと言うのは、いずれは中国に頭が上がらない隷属国家になることを求めているのと一緒だ。

まるで宗主国・中国に対する、属国・韓国の立場が現実になる。

そんなこと、頭から爪先まで御免蒙りたい。

 

対中国包囲網で台湾の占める役割は、過去のどの時代よりも大きくなっている。

その台湾が、武漢ウィルス再発の中で、ワクチン入手に悩んでいる。

日本のワクチン国内必要量は、ファイザー製とモデルナ製で賄うことが可能だ。

ならば今、困っている親友国家を助けるためにために、使用する緊急性のないアストラゼネカワクチンを台湾に融通することを躊躇する理由はない。

日本がワクチンを余分に確保していたことで、日本と台湾の友好と親善が強化されれば、世界的災厄だった武漢ウィルスの唯一の世界貢献だ。

 

惜しむらくは日本医師会が非協力的で、ワクチン接種ペースが上がらなかったことだ。

しかしここに来て、集団接種や職場接種を強化することで、急速に接種が進んでいる。

総合的に見れば、日本政府GJ!

今後日本と台湾との国際協調が進めば、それがアジアの安定や躍進につながるはずだ。

大坂なおみ騒動への下衆の勘繰り

記者会見拒否で騒がれた大坂なおみは、結局全仏オープンを棄権することになった。

もちろん彼女の会見拒否発言の後始末だ。

 

この大坂に対して、全仏オープン主催者は15千$の罰金を課した。

当初の大阪は、主催者の批判に対してエラク強気で、挑発的なTweetをしたり、罰金はチャリティに使用を要求したりしていた。

ところが主催者側が、四大大会出場停止をちらつかせると、威勢が良かった初日と打って変わって、最終的には棄権を選んだ。

 ・しばらくツアーを離れる

 ・全米オープンに勝った後から、鬱病を発症していた

 ・人前で話すことがストレスだった

らしいが、それなら最初から「心の病気で人前に立つのが難しい」と言えば良かった。

 

ただ今回の措置は、大坂にとっても主催者にとってもウィンウィン。

と言うか、痛み分けの結果になる。

ツアー主催者は、集客力のある看板選手がこれ以上傷つくことと、今後の大会に出場禁止させなくて済んだ。

大坂は、振り上げた拳をソッと収める時間的余裕を与えられた。

次の大会に出場する時は「治療の結果、心身ともに健康を取り戻しました」と、麗しい復活劇を演じればよい。

損をしたのは、大坂の活躍で商品の売上げ増を期待していたスポンサーだけ。

 

大坂にとっては、四大大会の出場禁止は、それほど大変なダメージになる。

何せ大成功者で大金持ちになった彼女の飯のタネは、全米オープン全豪オープン覇者の看板だからだ。

この大会に参加できなければ、大坂なおみの商品価値は大暴落するから「選手のメンタルへの配慮」など、泣き言を言っている場合ではない。

 

この間の大阪の行動には、賛否が分かれた。

少なくともネット界隈では「そんなに記者会見が嫌なら、トーナメントに出なきゃイイだけの話」と、圧倒的に反対派が多かった。

数少ない賛成派も、

 ・選手ファースト

 ・嫌がる選手を無理やり会見場に引き出すのは人権問題

 ・政治主張が明確な大坂を尊敬

みたいなものだった。

 

ところが大阪が鬱病をカミングアウトすると、今度は大坂擁護派が増える。

ツアー主催者も今後の大坂支援を約束するし、ほぼ全部が大坂の体調を心配するコメントばかりになった。

 

また前日には大坂の姉が、

 ・苦手な全仏オープンを前に妹がナーバスになっていた

 ・記者会見で「苦手な全仏」を聞かれることを嫌がっていた

ことも明らかにしている。

今回の大坂の発言は、別に政治体な立場や、選手の権利などと大袈裟なモノではない。

単に苦手なメジャーの全仏オープンを前に、鬱病で精神的に不安定になり、記者会見に出たくないと駄々をこねただけのものだ。

 

そんなことを知らないマスコミは、挙ってそれまでの大坂の発言の数々を「なおみワード」などと持ち上げていた。

しかしそれは、テニスは上手いが人間的には全く未熟だった大坂が、その精神の不安定さから発する言葉を、勝手に拡大解釈していただけだった。

それもまた、きっと大坂を追い詰めていたはずだ。

敬意をこめて言えば、大坂は「典型的なテニスバカ」なのだ。

 

そうでなければ、支払った罰金の使用について差し出がましいことを言うはずがない。

交通違反で罰金を取られた人が「私が払った罰金は交通遺児救済に使って」などと口走れば、常識を疑われるだけだ。

BLM運動への賛同で、政治意識が高いアスリートと思われてきたが、それも自分が差別されたとの被害者意識からで、それ以上の深い理解があるとは思えない。

そんな大坂を、あたかも黒人差別反対の闘士のように扱い、今回も積極的に大坂擁護を主張していた人には、とんだ梯子外しだ。

 

大坂が鬱病なら、何よりもその治療が最優先だろう。

2018年全米オープンに勝った後に発症したらしいから、あの白人イケメンコーチと別れたことが影響しているのではと思う。

大坂は、恋しいサーシャが自分に振り向いてくれないのは、黒人差別の所為と思い込み。BLMにのめり込んだのかもしれない。

テニスプレイヤーとしては、頂点を極めたのだから鬱病になるはずはない。

下衆の勘繰りに過ぎないが、恋煩いが原因だと思うと辻褄があう、

まるで余計なお世話だが。

共産党にすり寄る立憲民主党の将来性

別に支持もしていない政党なので、立憲民主党がどうなろうとどうでも良い。

このまま支持率が低迷し、最終的には社会党社民党のように、野垂れ死に状態になっても構わない。

むしろ、反日政党の末期、断末魔を見てみたい気さえしている。

 

しかしそんな狭量な思いは、日本のためには良くない。

日本が民主主義国家として成熟するためには、責任与党と、それを建設的に批判する健全野党の存在は欠かせない。

ところが野党第一党の現在の立憲民主党には、所属する議員に碌なヤツがいない。

全員の政治家としての資質が余りにも貧弱なので、野党の中核的存在になることはあり得ない。

 

立憲民主党がダメでも、どこかの野党政党がその任を担わなければ、与党のやりたい放題になる。

与党が確たる方針の下に、魅力的な政策を実施していれば、それでもマァ我慢できる。

だが今の与党もまた、既に80歳を超えた幹事長が実権を手放さない。

全く以て、褒められるレベルには程遠い状況だ。

 

と言うことで野党は、統一候補を押し立てて与党に対抗する方針を採っている。

その中心で、実際に旗を振っているのが、何と日本共産党なのだ。

国民民主党日本維新の会は、このことの危険性を察知して、野党統一候補に是々非々で臨んでいる。

しかし立憲民主党だけは、こんな共産党が仕掛ける罠、悪だくみに無警戒無防備にのめり込んでいる。

 

共産党立憲民主党は目糞鼻糞、中国韓国のどっちもどっちなのだが、それでも共産党に比べれば立憲の方が未だマシ。

共産党は与党の一角の公明党と体質が似ているが、こちらもまた、共産党に比べれば公明党の方が未だマシ。

共産党共産主義社会の実現を夢見ている時点で、往時のオウム真理教にも似た最低最悪の危険政党だからだ。

その証拠に未だに公安庁は、共産党を要監視団体から外していない。

 

誰がどう贔屓目で見ても、立憲民主党にとって、共産党に近づくのは悪手だ。

それは国民の間に今なお強く残る、共産主義アレルギーによるマイナスだけではない。

組織力が、日本共産党立憲民主党では雲泥どころか雲糞の差があるからだ。

共産党と共闘すると、軒先貸して母屋をとられる。

共産党は組織に忍び込み、根こそぎ土台を食い荒らすシロアリだからだ。

 

終戦直後に比べれば、今の日本共産党は、客観的に見て直接的な暴力性は後退している。

もちろん今でも共産党員は、彼らが言うところの敵対勢力に対して、実質的な暴力手段を講じることを躊躇しない。

集団で取り囲み、集団で罵詈雑言を浴びせるなど、共産党員によっては日常茶飯事の政治行動だ。

しかし暴力革命を夢想していた過去と比較すれば、一応は「平和革命」路線に変身している。

にも拘わらず、その暴力的本質は全く変わっていない。

余談ながら、50年ほど前のサヨク学生運動界隈は、内ゲバを繰り返して衰退していった。

その時の日本共産党の青年組織・民青の地下暴力組織「あかつき行動会」は、内ゲバの最強部隊だった。

このような秘密部隊を保持するところに、日本共産党の体質が表れている。

 

共産党は、単に暴力体質の政党だけでない。

党員の献身性、忠誠心が、他の政党に比べると並外れている。

組織は上意下達が徹底され、上位方針への疑問は許されない。

これこそレーニンが唱えたボルシェビキ組織論で、非人間的ではあるが、効率と成果は上がる。

だから今では、一般の企業もこの組織論を採用している。

一般企業と共産党の違いは、一般企業には冷や飯を覚悟すれば、上部に反論することが可能だが、共産党では反対意見共々に追放、抹殺されることだ。

 

立憲民主党は、支持率は全く伸びない。

それどころか、結党直後の20%弱から、今ではその四分の一、若しくは五分の一にまで落ちてしまっている。

企業なら、業績不振でトップ更迭が必至なのだが、オンボロ統治の会社ほどトップが居残る。

その時は、聞くに堪えない言い訳と共に、窮地脱出の決め手として、更に悪手を重ねることが多い。

立憲民主党共産党選挙協力するのは、その典型なのだ。

 

野党統一候補に期待できるはずがない。

与党にとって、これほど頼りない、戦いやすい相手はいない。

昨年9月発足の菅義偉政権は、度重なる武漢ウィルス対策の失敗で支持率が落ちっぱなしだが、それでも選挙には勝つと予想されている。

全ては、野党がだらしなさすぎるからだ、

これでは日本の国会が、緊張感溢れた政治の場になるはずがない。

 

せめて、2009年民主党政権交代大失敗の戦犯だった、枝野幸男蓮舫原口一博などが表舞台から綺麗さっぱり退場しなければ、魅力的な野党に生まれ変わことはないのだが。

超アンチ立憲民主党なのに、まるで余計なお世話を焼かなければならない。

どこまでもおバカさん集団、立憲民主党の体たらくは日本国民の不幸だ。

 

皇室の存在は民主主義の枠外

皇室の内親王殿下の結婚話が、全く良い方向に進展しない。

婚約者とその母親、そして家族について、悪い噂が絶えないからだ。

 

世間の目は、内親王と婚約者に厳しい。

もはやスキャンダルそのものだ。

あの婚約者と母親が、皇室の縁戚になることが許せない。

何としても、結婚そのものを、なかったモノにしないといけない。

今やYouTuberの危機感はピークに達し、この結婚に賛成しているのは一人たりとも見られない。

むしろ二人の結婚に対してだけでなく、このような聞き分けのない娘を育てた、秋篠宮家の家庭教育にまで、批判の矛先が向かっている。

 

婚約者とその家族の実態が明らかになる前は、未だ二人への温かい見方もあった。

皇室関係者の結婚とは言っても、憲法で「結婚は両性の合意による」と明記されているので、二人の結婚は誰も邪魔できないと主張する人もいたが、その一方で、皇室は一般国民とは違うので、自由気ままに結婚できるものではないとの反対意見もあった。

甲論乙駁だったのに、その後に判明する婚約者とその家族の素行が余りにも常識外れなので、結婚擁護論の方はかき消されてしまった。

少し前までのデビ夫人は、熱烈な結婚賛成派だった。

しかし今では、特に母親の年金詐取疑惑が発生した後は反対派に変身し、その後は沈黙している。

 

今回の結婚話が、どのように進展し、決着するのかは分からない。

しかしそれがどうなっても、今回の騒動で、皇室が危機的状況にあることが知れ渡ってしまった。

 

今回の結婚を強行すれば、国民の皇室離れが始まる。

婚約者と家族があれほど胡散臭い以上、それでも強行突破すれば、日本の象徴としての皇室への尊敬や親しみがなくなるからだ。

結果的に破談になっても、一旦芽生えた秋篠宮家への疑問は消えない。

真偽不明だが、秋篠宮殿下の行状や家庭内の問題が、次々と暴露されている。

幼少の砌から徹底的に完璧な帝王学を叩きこまれた現在の天皇陛下に比べ、秋篠宮殿下は、よく言えば自由奔放、普通に見ればやんちゃ坊主として育った。

天皇陛下秋篠宮宮殿下の、性格の違いを物語るエピソードは、枚挙の暇がない。 

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我が家のバカ息子でも、こんなことはしない。

 

しかしどれほど秋篠宮家に不平不満や疑念があろうと、次の天皇秋篠宮家に移ることが決まっている。

するとそれを拒否したい勢力は、愛子内親王の即位を口走る。

今までは陰でのコソコソ話だが、今回の結婚話を契機に公然と持ち出されている。

しかしいくら彼らが頑張って声高に叫んでも、これは現行の皇室典範ではありえない。

「それでも言わずにはいられない」ほど、秋篠宮家への不信感が募っている。

 

但しこの勢力の一番の弱点は、万が一愛子内親王の即位が実現したとしても、その次の手がないことだ。

秋篠宮家が皇位継承をしない場合は、旧宮家の復活や、女系天皇容認になる。

過去にも女性天皇は存在しているが、これが女系天皇容認へと進むと、途端に日本を二分する大議論になる。

明白に記述された歴史だけでも二千年以上に亘る、万世一系の皇室が途絶えることになるからだ。

 

愛子内親王の即位も、天皇秋篠宮家に変わるのも、いずれも大問題なのだ。

 

現実的な対策としては、秋篠宮悠仁親王への期待しかない。

秋篠宮殿下の人格が、今更急に劇的に変わるとは思えない。

しかし悠仁親王は、まだ若い。

今まで何かと不安材料が取り沙汰されてきたが、皇室と宮内庁を挙げて、危機感を持って帝王学を伝授すれば、国民の信頼を集めることは充分に可能だ。

 

しかしそもそも、皇室がこんな危機的状況になったのは、皇室が女系家族で皇子が生まれにくいからだ。

昔はその対策として、側室制度があった。

ところが日本が民主国家となり、民主的であることが美徳のようになると、皇室まで「人間天皇」が当たり前になった。

現在の社会常識に照らし合わせれば、側室の存在など絶対に認められない。

昭和天皇以降の皇室は、この側室制度を捨てている。

 

また今の女性たちが、皇室との縁組を希望するとは思えない。

僕の知人の妹さんは、今の天皇妃候補の一人として噂になったが、その瞬間に家族は彼女を海外留学させたほどだ。

正妻だって敬遠するのだから、ましてや側室を受諾する女性を探すのは絶望的だ。

 

今回の結婚話で、皇室には一般国民のような基本的人権はないとの意見がある。

皇室として生まれたからには、国民に寄り添い、国民の安寧を祈ることこそ自らの宿命ととらえて欲しいとの考えだ。

ノブリス・オブリージュなのだろうが、であれば皇室の価値観が一般国民とは違うことを理解しなければならない。

とにもかくにも、皇室は二千年以上に亘って、日本国民の扇の要だった。

その皇室の、とりわけ万世一系の継続を願えば、皇室の側室制度復活も選択肢だ。

その時は、我々の周囲から絶世の美女が皇室に引き抜かれるかもしれないが、それもまた庶民の宿命と感受しよう。

 

民主主義と皇室は、本質的に相容れない。

民主的な皇室など、ないモノねだりに思えてならない。

奥床しい日本語

僕が通った学校では、小学校の頃から日教組の教師が幅を利かせていた。

そんな中の一人だが、中学の時の教師の一言が忘れられない。

彼は「英語に比べて、日本語は実に劣った言語だ」と教えた。

その理由は

 ・英語は肯定か否定かが最初の時点で分かる

 ・日本語はそれが最後までわからない

 ・よって日本語は実用的でもないし機能的でもない

との結論だった。

今なら端から「フン!」と聞き流すような内容だが、当時はほとんど無垢で人を疑うこともない、純真可憐な子供だった。

そんな年頃の「美少年」には、日教組の教えの影響は大きかった。

批判的に聞くなど、思いもつかなかったからだ。

だから僕は長らく、この言葉に支配されていた。

 ・日本語は、非論理的言語なので難しいし、外国人が理解できない。

 ・だから日本語が、国際的な言語になることはあり得ない

そう思っていた。

 

しかしその日本語で、肯定、否定が最後まで分からないのは、日本人の気質によるものと思うと、評価が変わる。

日本人は、向こう三軒両隣精神なので、早く結論を出す必要性を感じていないのだ。

逆に言えば外国では、出来るだけ早い段階で、敵味方を峻別する必要がある。

それが生き残るためには、必須なのだ。

そんな殺伐とした文化の中で、英語を始めとする言語が成り立っている。

 

外国では「交渉事はPNPが原則」で、こんな精神が定着しているのは、あたかも外国が進んでいるからのように言われる。

PNPとは、Positive-Negative-Positiveのことで、ネガティブな話題は前後をポジティブ話題で包み、とにかく最後をポジティブにまとめる考え方だ。

これは絶対に、間違いではない。

それで良い関係を維持できるなら、大いに参考になるやり方だ。

しかしこれも、やはりネガティブなまま別れると、不安で仕方がない外国文化から生まれたモノだ。

 

例えばメールの最後の、「何でも質問してくれ」の英語は

 ・Don’t hesitate to ask me

 ・Feel free to ask me

の二種類があるが、Don‘tが否定なので、後者を使うことを推薦される。

 

相手を慮ることは、日本だけでなく世界共通だ。

しかし日本と、とりわけ英語圏の民族では、その表現の仕方が違う。

日本人は、相手の嫌がることを言わない傾向が強いが、英語圏は相手を励ましヤル気を削がないことに留意する。

だから英語圏の外国人は、否定的ニュアンスの言葉を嫌がる。

ビジネスの社会では、あたかも英語圏の振舞いの方が進んでいるように見られるが、実はそうなことはない。

日本では、そんな言葉だけの励ましなど不要な共通項がある。

 

要は、言葉は文化なのだ。

そして日本の文化は、決して外国に劣っているわけではなく、むしろ歴史や秩序など、世界に誇ることができる国家だ。

それなのに日教組は子供たちに、徹底的に自学史観を教えた。

その中で、実に奥床しい日本語に対しても、国際的に通用しない非合理的言語などの難癖をつけた。

しかしそんな評価は、全く的外れだ。

別に国際言語として、認定される必要などない。

それは英語に任せて、我々は誇りを持って奥床しい日本語を使い続けば良い。

ヤツは共産党か立憲民主党の支持者に違いない

ウォーキングの最中に、どうにも変なヤツに出会った。

 

いつもの道を、いつものペースで歩いていると、真正面から爺さんが来た。

こちらが右側を歩いているので、爺さんはヒダリ側を歩いていることになる。

このままでは正面衝突になるので、爺さんを避けようと更に右側に寄る。

すると爺さんは、少し向かって左側に進路を取り、何事もなくすれ違った。

ここまでは、よくある光景だ。

 

いつもと違うのはこれから。

爺さんがすれ違いざま「左側を歩けよ」と、文句をつけてきたのだ。

 

最初は、何を言っているのか理解できなかった。

そこでこちらも振り向いて「ハァ?」と聞き返すと

そこから真に珍妙な会話が交わされることになった。

 

 爺さん「左側を歩かないとダメだろ」

 当方 「左側?人は右側を歩くものだろう」

 爺さん「何を言ってるんだ、ここは日本だぞ」

 当方 「バカ言え、小学校の頃に人は右、車は左と教わっただろ」

 爺さん「本当か?」

 当方 「見てみろ、車は全部左を走っているだろ、日本では人は右、車は左!」

 爺さん「だけど俺は、この歳まで人は左でやってきた」

 当方 「どう生きてきたのかは知らないが、人は左なんて初耳」

 

ここまでで形勢不利と思ったようで、爺さんは「マァいいや」と捨て台詞を残して立ち去って行った。

こっちにすれば「マァいいやじゃないだろう、他人にクレームをつける前に交通マナーを勉強しる」と悪態をつきたい思いだ。

 

「年寄りに道を譲れ」とか、「危ないからもっとゆっくり歩け」とか、マナー面で注意するのなら未だ分かる。

しかし今回の爺さんは「人は左側を歩くもの」と、自信満々に文句を言った。

その余りの堂々とした間違いぶりに「此奴はアメリカ人か?」と、一瞬こちらの自信と常識が揺らいでしまったほどだ。

しかし相手は、紅毛碧眼鼻高堀深の外国人には程遠い、その辺にゴロゴロといる典型的な偏平アジア顔の爺さんだ。

どう考えても日本人なので、小学校の頃から教え込まれた「歩く時は右側を」を間違えるはずがない。

 

爺さんは「この歳まで、人は左と信じて生きてきた」と言うが、冷静に考えればそんなことはあり得ない。

この爺さんが長年逆行人生を繰り返していれば、どこかで事故にあっていたはずだ。

そうでなくとも、学校の行事で行進する時に一人だけ左側を歩けば、必ず指導者から注意される。

 

ただこの爺さんがこの日、左側を歩いていたことは間違いないし、左を歩くことが正しいと信じていたからこそ、わざわざ当方に文句を言ってきたのだろう。

爺さんはボケているのか、あるいは単なる瞬間的勘違いを認めたくなくて、ひたすら詭弁を弄したのかもしれない。

ただ、こんな頓珍漢爺さんが車を運転でもしたら、今、社会問題になっている道路を逆走する事件を引き起こすかもしれない。 

 

この後に通りがかった公園に、移動警察車が停車していた。

担当の警官が三人いたので、恥ずかしながら「人は右ですよね」と聞いてみた。

「相手が威風堂々と間違えると、自分の常識が間違いかもと不安になるので」と事情を説明すると、大笑いしながら「人が左などありえません」と答えてくれた。

 

そこで思ったのは、あの爺さんは共産党立憲民主党の支持者に違いないとの推測だ。

だから「人はヒダリを歩け」と力説することに、違和感がないのだ。

また社会常識に合わないことでも、大声で言い募っているうちに、それが正しいと信じ込んでしまう。

まるで、どこぞのお国柄か、あるいは、日本の野党に共通の行動パターンではないか。

 

あんなに、常識の部分が正反対の爺さんとは、絶対に付き合いたくない。

しかし政治家になれば、否が応でもそんな国との外交を強いられるし、野党とは国会で話し合わないといけない。

改めて、与党政治家のご苦労に思いが至る、爺さんの行状だった。