昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

山尾志桜里が仕出かしたこと

国民民主党の人寄せパンダ、山尾志桜里が大問題になっている。

 

案件は二つ

 ・議員用無料パスの私的利用

 ・不倫相手の元妻が自死していた

 

議員用無料パスを使って、マッサージに出かけたり、恋人宅に出かけていたことは、山尾の危機管理能力不足からきている。

山尾は国会議員だから、常に世間の注目を集める存在だ。

しかもその中には山尾の支持者もいるが、アンチもまたそれ以上に多い。

そんな反対勢力からは、一挙手一投足を見張られていると思わないといけない。

もちろん、山尾のスキャンダルはカネになるので、マスコミやパパラッチからも四六時中狙われている。

それにしては脇が甘すぎるので、国会議員とや公人しては不適格な人物だ。

 

議員特権は、議員としての活動に限定して付与されている。

だから、プライベート用の自分のSUICAを持っていれば、何の問題も起きない。

それを面倒臭いからと、軽い気持ちで無料パスを利用したのだろう。

ところがそれが、全くのプライベート利用になると、大変印象が悪い。

僻みっぽい一般国民は、当然ながら特権階級を批判的に見るからだ。

 

しかし実際には近距離JR料金なので、費用など安いものだ。

しかも実はこの程度の公私混同は、我々もやり勝ちだ。

会社から支給される定期券は、本来は業務用使用に限定されている。

しかし休みの日に、チョイと利用することは誰にでもありうる。

 

山尾もまた、わざわざ自分用に特別列車を走らせるほど無駄遣いをしたわけではない。

普通に走っている公共交通機関をタダで使っただけなので、一人分は混雑を助長したかもしれないが、それ以外では別に誰かに迷惑をかけてもいない。

敢えて、目くじらを立てるモノではないはずなのだ。

 

それでも、これだけ批判されるのは、ノブリス・オブリージュ。

山尾の場合はノブリスてと言うより、有名人で悪が強いからだ。

全ての経費を税金で賄われている議員が、たかがJR料金を猫糞するのは誠にみみっちく見えて、同情的な声など聞こえてこない。

 

もう一つの、現恋人の元妻の自死は、山尾の印象を決定的に悪化させた。

山尾と恋人は、ダブル不倫の結果、両方とも離婚している。

その離婚の結果、現恋人の元妻は精神的に不安定になり、自ら命を絶ったと言うのだ。

山尾に夫を略奪されたのが事の発端だから、山尾の道義的責任を追及する声は大きくなるだろう。

脂ぎった山尾の恋路が、格好の週刊誌ネタを提供したようなものだ。

 

しかし既に両者ともに離婚しているのだから、今は不倫関係ではない。

だから山尾が今でもこの恋人と逢瀬を重ねることには、何一つ問題はない。

そもそも不倫は勧められるものではないが、個人的な色恋の世界なので、理屈であれこれ片付くものでもないし、他人があれこれ詮索するものでもない。

しかも、元妻との離婚条件や、その後のフォローなどは、恋人の方が対処するべき問題であり、山尾には手の打ちようがない。

即ち自死した元妻に対しては、恋人の方には責任があっても、山尾はタダひたすら己が信じる恋路を突き進んでいるだけなのだ。

 

とは言え、世間の目は冷たい。

山尾は選挙で審判を仰ぐ議員の立場なので、このスキャンダルは再選を難しくする。

恐らくは今回の問題は、政治家山尾志桜里にとって致命傷になるだろう。

これは総じて、山尾の人品骨柄の問題だ。

山尾に言い訳や言い分もあろうが、人気商売である以上、全ては身から出た錆だ。

 

僕は山尾志桜里は好きではない。

山尾の政治活動を見ていると、立憲民主党を飛び出し国民民主党に所属したものの、いずれは自民党入りを画策するものと思っていた。

山尾は、舌鋒鋭く政敵を責め立てるが、中身はかなり危うい火薬庫のような政治家だ。

現に国民民主党は、ババ抜きのババをつかんだようなものだ。

今回山尾が大バッシングを浴びていることは、少々気の毒とは思う。

しかし昔から山尾を、「自民党さんご用心」と警戒していたので、今回のスキャンダルでその目が完全に潰れたことを喜んでいる。

 

sadda-moon.hatenablog.com

 

ワクチン接種が始まるみたい

♫光の国から僕らのために、来たぞ我らのウルトラマン

♫来ったぞ、来たぞ あられちゃん!

 

歌を歌いたくなるような通知が来た!

武漢肺炎の、ワクチン接種通知だ。

まるで鹿ケ谷での平氏打倒の密儀がバレ、鬼界ヶ島に流刑された俊寛僧都藤原成経、平康頼が、ご赦免船を待ちわびたように、一日千秋の思いで待っていた通知だ。 

 

表書きは「新型コロナウィルスワクチン接種のお知らせ 接種券等在中」。

実に厳かだ。

「妻よ、我々もこれで、生き延びることができるぞ!」

 

思えばこの一年間は、風邪をひかぬよう細心の注意を払った生活だった。

人が集まる場所では、嫌々ながらもマスクを着用してきた。

そもそも、外出を控えるようになってしまった。

昨年5月の海外旅行も、今年4月の東北花見旅行も、自重してキャンセルした。

 

日本国民全体が、ひたすら穴倉生活を余儀なくされてきたのだが、ワクチンを射ちさえすれば、武漢肺炎なんて恐るに足らず。

さてさて、いつの日に接種できるのかな?

そんな期待感一杯で、通知の封を開けてみた。

 

中には、資料がいっぱい入っている。

特に大事そうな「新型コロナウィルスワクチン接種のお知らせ」には、赤字、赤枠で「新型コロナウィルスワクチンをうけられます。費用負担はありません」とある。

「あなたのID 00*********」で、第一回目、第二回目の接種券がついている。

しかも、ワクチンはファイザー製。

 

手配が遅れた韓国は、アストラゼネカ製ワクチンを接種する予定だが、あの文在寅がインチキして、ファイザー製を接種したと噂された。

文在寅人気はガタ落ち中だが、その原因の一つとしてこの噂が実しやかに流れていた。

少なくとも韓国人は、アストラゼネカよりもファイザーが効果があると信じている。

そのファイザー製ワクチンが、タダで摂種できる。

我が自治体よ、ありがとう!

日本政府よ、ありがとう!

そんな感謝の気持ちで、いっぱいになった。

 

これを持って指定の場所に行けば、晴れてワクチン接種となる!

そう思ったが、別の資料を見ると、どうも様子が違う。

 

資料「ワクチン接種までの流れ」を読むと、

 1.接種可能な時期を確認する

 2,医療機関を探す

 3,予約してワクチンを受ける

とあり、先ずは接種が可能な時期の確認から始まる。

そして別の資料によると、我が町では「早くて5月後半から接種が始まる」らしい。

 

実際に送ってきた資料は多いが、何をどうすればよいのか大変分かり難い。

市役所に電話すると「専用電話が設定されたので、そっちにかけてくれ」と冷たい。

「こっちは年寄りで、明日をも知れない不安感で生活しているので」と泣き落とし、何とかやり方を教えてもらった。

その担当者が言うには

  1.まだ接種時期は決まっていない

 2.決まり次第、個別に通知を送る

 3.その日程に沿って、医療機関に予約を入れる

 4,そこで接種実行

となるらしい。

 

要するに

 1,いつから接種可能かは全く分かっていない

 2,通知を受けて以降、接種日を予約する作業が必要

 3,だから、次の通知が来るまでは何もやることはない

 4,その通知発送は、早くて5月末

と言うことだ。

 

マァ期待した分、肩透かしの感が免れない。

一応は、ワクチン接種に向かって進んではいるようだが、まだ後一か月近くは、用心しながらの生活を余儀なくされる。

それでも、今回の流行病(はやりやまい)対策の救世主は、ワクチン以外にない。

ワクチンが必要十分条件かは意見が分かれるが、十分条件であることは間違いない。

 

贅沢を言えば、切りがない。

通知を受け取って、日本政府にも自治体にも感謝したのだから、一か月間は自主防衛に徹するしかない。

信頼に値しない日本保守派の退潮

トランプ前大統領の再選を祈っていたので、昨年11月のアメリカ大統領選は残念な結果だった。

 

その当時は、ジョー・バイデンが大統領になれば、

 ・アメリカが中国との融和策に進む

 ・その結果、中国の南洋進出を止められくなる

 ・尖閣列島は累卵に危機に陥る

 ・沖縄にまで中国の魔の手が伸びてくる

 ・バイデンは認知症なので、任期を全うできない

 ・世界平和にも日本国益にも大マイナス

と、そんな見通しが尤もらしく語られていた。

 

そんなバイデン政権がスタートして、はや三ヶ月が経過した。

そして今までのところ、バイデン政権で最大の懸案事項とされていた対中国の弱腰外交は杞憂に終わっている。

元々アメリカの、対中国強硬姿勢は

 ・トランプの個人プレイではなく、アメリカ議会の総意

 ・だから大統領がバイデンに変わっても、急旋回は無理

との見方は強かった。

図らずもそれが正しかったことは、アラスカで実現した外相会議でのブリンケンと楊潔篪の大喧嘩を見れば分かる。

 

バイデン政権が中国に強硬に臨むのは、中国が抱える人権問題が大きい。

バイデンの世界観は、現代を、自由と民主主義を守る勢力と、全体主義に与する勢力の対立構造ととらえている。

そこでは、民主主義陣営の価値観を共有し、更なり結束を固めるために、

 ・日本との同盟関係

 ・QUADの連帯

を重要視している。

だから中国のウィグル弾圧や、北朝鮮の人権無視は許すべからざる暴挙なのだ。

バイデンが初の首脳会議の相手に、日本の菅義偉首相を選んだのも必然だし、中国・北朝鮮を批判しないだけでなく、同調的行動をする文在寅の韓国は信用できないと見る。

中国の南洋侵攻の脅威に晒される日本にとっては、今のバイデン政権の政策とのケミストリーは極めて良好だ。

 

そうは思うが、環境政策はやはりアウトだ。

バイデンは、パリ協定に復帰したり、出来もしない大幅な二酸化炭素削減を目標としたりで、中長期的アメリカ経済への悪影響政策を推し進める。

これでアメリカが困るのは、日本は高みの見物を決め込めば良いのだが、悪いことに日本側もまた、国家観が欠落した菅義偉政権に代わっている。

更に最悪なのが、環境大臣がアホポン無内容な小泉進次郎ときている。

バイデン、菅、進次郎の環境三バカ大将が、二酸化炭素地球温暖化だと騒ぐ度に、日本の国益アメリカにつられて悪化していく。

 

総合的には、バイデン政権の三か月の評価は、やはり55点程度と見るのが妥当だ。

 

ただ、バイデン政権の日本にとって功績として、一つ付録がある。

それは、バイデン大統領が実現したことで、日本保守派の分裂劇を誘発したことだ。

 

 

保守派の中には

 ・バイデンと米民主党は組織的な大不正選挙をした

 ・その証拠はゴマンとある

 ・よってバイデン当選は無効で、真の大統領はトランプ

と主張する連中が多数いた。

ところがその理屈は、保守派が忌み嫌うサヨクや韓国と全く同じ構造なのだ。

彼らは、具体的な証拠は皆無で、しかも全く陳腐で頓珍漢なものばかりなのに、それでもひたすら自分たちの意見が正しいと拘った。

連中はそれを頑なに信じ込み、反対派を攻撃し続けた。

そんな彼らは陰謀論者と名付けられたが、今になると明らかに間違っていたことが分かっている。

すると途端に沈黙してしまい、全く反省の弁を吐かない。

これもまた、サヨクや韓国と同じだ。

 

バイデン勝利は、そんな彼らが全く信用に値しない存在であることを浮き彫りにした。

いくら常日頃、保守的な立場からの情報発信していても、こんな付和雷同な意見は必ず破綻するし、反対派に利用される。

もしもトランプが勝っていたら、彼らは今でも強い影響力を持ち続けていただろう。

これはまさしく期せずして発生した現象だが、何事も神の思し召し!

民主主義と専制主義の対立が先鋭化する中で、民主主義陣営には陰謀論者など不要だ。

中韓ドラマから見える日中韓三国の関係

 

先ずは、恥ずかしい過去の告白と懺悔から。

15年ほど前、ホンの一時期だが韓流ドラマにハマったことがある。

DVDも30本以上は買っただろう。

 

しかしすぐに目が覚めた。

韓流ドラマはつまらない。

そこで今では、中国ドラマを鑑賞するようになった。

 

一般素人程度の熱中さでは、韓流ドラマと中国ドラマの違いが分からないかもしれない。

しかしその両方を目を皿のようにして見てきた僕には、両者の差が一目瞭然で分かる。

そしてその結論から言えば、国として韓国と中国を比較した場合と同じだ。

丙丁つけ難いのだが、やはり丙は中国、「ダントツの最下位」(こんな言葉はおかしいが)の丁は韓流だ。

 

その理由として、韓流ドラマは中身がなさ過ぎることがあげられる。

韓国には今に至るまで、世界に通用する偉人が存在しない。

その分、歴史ドラマは架空で夢物語の英雄を捻り出すしかない。

歴史上は存在しなかった人物を、妄想の限りを尽くして主人公に仕立て上げる。

こんなドラマは、韓国人の気質なら平然と自己合理化できるかもしれない。

しかし普通なら劣等感の裏返しを見る気がして、アホらしくて話にならない。

 

その分韓流ドラマは、男女の恋愛物語に特化するしかない。

しかし物語 基本、日本の「君の名は」とか「愛染かつら」レベルだ。

無理やり二人の仲を引き裂くことが立て続けに起こり、ありえないほどの偶然を重ねることで、ストーリーを無理やりに盛り上げていく。

それを、ほとんど同じ顔をした美形の女優と、まるで面白みのないハンサム男優がクサく大袈裟に演じる。

最初は感情移入できても、続けて「これでもか!」と繰り返されるとすぐに飽きが来るし、見ていて恥ずかしい気分になる。

 

それでも女優の、ムン・グニョンとソン・イエジンはお気に入りだった。

彼女たちが主演した映画は全部見た。

ムン女史は、韓国では「国民の妹」と言われる、ごく普通の「カワイイ」顔立ちだ。

一方のソン女史は、何とソフトバンク孫正義と縁戚関係らしい。

親戚なら何らかのDNAつながりがあるはずだが、孫正義とソン女史は、どの部分をとっても全く似てもいない。

つまりソン女史は、韓国に特徴的な「作り上げられた」美女なのだろう。

 

その点中国には、四千年の歴史がある。

その中の悪党合戦で、より悪くてずるくて度胸があるヤツが世の中を統一し、前の為政者一族を皆殺しにしてきた。

歴史は凄惨そのものだが、一癖も二癖もある登場人物ばかりで、その連中が権謀術数の限りを尽くすのだから、ついつい話に巻き込まれる。

古くは殷の肘王、秦の始皇帝やその先祖、最近では清朝ヌルハチラストエンペラー宣統帝溥儀まで、日本でもお馴染みで個性の強いキャラばかりなので、物語には事欠かない。

 

AV監督の村西とおるに言わせると、中国の映画界は「全ての面でハリウッドを超えた」と自信満々らしい。

ハリウッドを遥かにしのぐスケールの映画村があり、広大な敷地にはあらゆるセットが用意され、ハリウッド以上のペースで日々大作が作られていると言うのだ。

またCG技術の発展も凄まじい。

実際に中国ドラマを見ていると、その全部がCGを駆使した撮影モノだ。

村西は「その中国が唯一作成できないのが、日本の繊細でキメ細かいAV作品」と我田引水の自画自賛をしていた。

この点はかなり眉唾かと思うが、中国人の日本観光客の最大の楽しみの一つが、ホテルでの成人映画鑑賞と聞くと、村西説もあながち法螺とは決めつけられない。

 

韓国は二千年間、中国の属国だった。

その歴史の中で、中国と戦い、中国勢を蹴散らし勝利を収めた王様も武将もいない。

血沸き肉躍るような歴史がない韓国は、中国には歯向かうことができない。

その憂さを、荒唐無稽な恋愛ドラマと、日本への嫌がらせで発散していると思うと。たかが還流ドラマだが、見ていて哀れを誘われる。

hatena blog三年目

Yahooブログから引っ越してきて、丸々二年が経過した。

実は、Hatenaブログを開設したのは2019年4月1日だが、本格的に投稿を始めたのは4月24日からだ。

 

以降、暇に任せて一日一本の記事をアップしようと頑張ってきた。

元々、仕事の現役時代は、ブログは顧客との話題の整理が目的だった。

営業と言う仕事柄、顧客と会話するのが常だったので、予め商談内容を予行演習するのを常としてきた。

商談は1時間が原則だったので、そこでおおよその時間配分や、ネタの順番なども考えておく。

その時の話題の切り出し方や、特にオチを書いていると、落ち着いて交渉ができる。

勿論、大半の商談では、思ってもいない展開になったり、全く準備ゼロの指摘が発生する。

そんな時でも、事前にシミュレーションをしておけば、何とか元の話題に持ち込んで体勢を立て直すことが可能になる。

仕事の上では、確かにブログは役に立った。

 

リタイアした後は、ボケ防止の意味合いが強くなった。

言葉を思い出し、キーボードを叩きながらそれを文章にするのは、それなりの頭を使う作業だ。

実際に、脳を酷使し、指先に刺激を与えることは、ボケ防止に有効だと聞いたことがある。

囲碁将棋麻雀にも同様の効果があるらしいが、こちらは必ず相手が必要だ。

その点ブログなら、たった一人でも続けられる。

 

一度、昨年11月のアメリカ大統領選で、必勝を祈願していたドナルド・トランプが敗北した時、ブログを辞めると決めた。

何の支援にもならないが、自分なりにトランプを応援していたし、トランプが勝つものと信じていた。

しかし結果は全く期待外れで、バイデンの勝利となった。

その後は。ネット社会も日本保守界隈も、本当の勝者はトランプだと主張する連中と、バイデン勝利で間違いないと主張する連中の大激論が巻き起こった。

しかし僕のような無名の人間でも、一応ブログでトランプ勝利を唱えた以上予想がまるで外れた責任はとるべきと思ったからだ。

 

しかしこれも、自分を過大評価しているに過ぎなかった。

日米の政治動向に露ほどの影響力のない人間なら、競馬の予想が外れたのと同じ程度と考えればよい。

競馬の予想屋は、自分の予想が外れたからと言って、廃業することはない。

と、誠に勝手な理屈で、その後も続けてきた。

 

ただし、ネタ不足は深刻だ。

現役の頃は。早朝の出勤から帰宅するまで、言いにつけ悪いにつけ、ストレス塗れの生活だった。

たまの休みさえ、体力回復のための休息するのではなく、ゴルフに出かけメンバー同士で交流していた。

人と接触すれば、刺激を受けるし情報も集まる。

それが仕事を離れたことで、悩みもなくなったが、外からの刺激は皆無になった。

 

日経新聞もやめたので、会社や産業界の動きにも疎くなった。

どんな業種が好調なのか、あるいは落ち目なのかを知る術もないが、今更こんなのはどうでもイイ。

特に、後輩連中の人事異動が分からないのが、唯一の困った点だ。

一緒に苦労した連中が、順調に出世してくれればうれしい気持ちになるが、さりとて手助けの方法もないので、彼らの武運長久を草葉の陰から祈るだけだ。

 

そんな中で、Hatenaブログの三年目に突入した。

さすがに連日の記事はつらいモノがある。

ネタを思いつかなかったら、しばし休息。

細く、且つできるだけ長く、ボケの進行と戦い続ける積りだ。

個人的には切実だが、世間的には無意味!

憎まれっ子世に憚る。

憎まれ爺いも世に憚る。

人間50年

♫人間五十年、下天のうちを比らぶれば、夢幻の如くなり♫

織田信長は、敦盛を舞いながら50歳で死んだ。

 

敦盛の歌詞は、当時の寿命が50歳だったことを表している。

これは当時の人たちが普通に生活していれば、耐用年数の平均は50年くらいということだ。

今の時代は、科学技術が大進歩した。

しかしそれでも、世の中にある人間が作り出した機械の耐用年数は、なかなか50年は持たない。

メーカーの品質保証期間は20年は超長い方で、大半は1年間だ。

 

ところが人間の寿命の方は、劇的に伸びた。

中でも日本人の寿命は、男女平均する何と80歳超で、世界一の長寿国となった。

 

世間の多くの人が「初老の紳士」とは、おおよそ60歳前後をイメージする。

しかし実は、「初老」とは40歳の別称だ。

50歳が平均寿命なら、確かに老人の入り口は40歳くらいだ。

 

栄養状態が格段に良くなり、医学が発達して病気も克服できる。

人間の意識改革も進み、大戦争も未然に防止している。

世界中の平均寿命が延びるのも、宜なるかなだ。

 

逆に、ほとんど廃人同様になっても、点滴さえ続ければ死にたくても死ねない。

ここまでになると、果たして長生きすることは本人の望みなのか疑わしくなる。

 

平均寿命が伸びたのは医学の進歩が最大の理由だが、もう一つ、人間そのものが素晴らしい精密機械なのが大きい。

人間と言う機械は、日常の様々な変化に柔軟に対応できる能力を備えている。

また、医学を発展させたり、戦争を回避する知恵も、人間の脳の働きによる。

冷静に人間を観察すると、宇宙を縦横無尽に飛び回る最新のロケット技術を持ってさえ創出するとことができない、精緻極まりない精密機械がどうやって出来上がったのかと不思議な気持ちになる。

 

科学的見地からは、ダーウィンの進化論で説明される。

人間が環境変化に対応して自らを進化させながら、変わり続けた結果との見方だ。

それは説得力があるが、しかし体の末端まで張り巡らされた毛細血管とか、全く無駄がない部品配置など、到底理屈だけでは説明できない。

 

色々と考えた挙句、結局は「神が創り給うた」となってしまう。

 

僕は何度も述べてきたように、典型的な「熱心な無宗教徒であり敬虔な無神論者」だ。

その僕でも、人間は神様が作った芸術作品ではないかと考える。

勿論、アタマから神の存在を信じている人たちには当たり前の結論だが、無神論の連中がなかなか無神論に徹底できないのは、いくら科学が進歩しても説明できないほどの超常的状況が存在するからだ。

 

そうは言っても人間の体には不要不急なものがあり、そこは神様の製作失敗部分だ。

僕は長らく、そう思ってきた。

 

例えば爪だ。

勿論、爪そのものは武器として役に立つ。

夏ミカンの固い皮をむく時は、硬い爪がないとうまくいかない。

しかしそんな爪でも、伸びる必要はない。

その所為で定期的な爪切りが必要になるのに、何故不必要に爪は伸びてくるのか?

そう考えていたが、ある時贔屓のラーメン屋ご主人の発言を聞いて、自分の考えが如何に浅はかだったかを痛感した。

彼は「変わらないためには、変わり続ける必要がある」と言った。

顧客に好まれるラーメンのためには、いつも安定した味を作らないといけない。

しかし各々の材料は、細部まで同じものなどありえず、毎日微妙に変化している。

そこから毎日同じ味のスープに仕立てるのは、常に繊細な微調整が必要になる。

同じものを供給するためには、常に新陳代謝が必要らしい。

なるほど言われてみると分かるような気がするが、爪も新陳代謝を繰り返していないと、機能が低下するだけでなく、腐敗が始まってしまうモノだ。

 

腋毛も、当初は存在意義が分からなかった。

人間の大事な器官は、毛で覆われて守られている。

しかし脇は、人間が生きる上でさほど重要な部分ではないだろうから、腋毛で防衛する必要性が理解できなかったのだ。

ところが、吉本新喜劇を見ていて合点がいった。

 

吉本の若手芸人、吉田裕の大人気ギャグ「乳首ドリル」は「ドリルすな(するな)、すな、すな」を繰り返した後「ドリルせんのカァ~イ?」と絶叫する。

この中で、吉田が「毛細血管がいっぱい詰まっているところワァキィ(脇)!」と大声を張り上げる場面がある。

受けに受けて客は大笑いだが、なるほど腋毛は、集中している毛細血管を守っている。

やはり神様の造作物には完璧だ。

 

後は神様に与えられたこの精神と肉体を、如何に世の中に役立てることができるかだ。

そんな感謝の思いを持ちながらも、実際のところ何一つ社会貢献できなかった。

神様が見たら、呆れ果てるような怠惰な生活を送り、惰眠を貪り続けた人生だった。

今更改心しても遅すぎだろうから、このままズルズルと生きていくしかない。

もはや人間50年は遠く過ぎ去ったが、せっかく伸びた寿命も無駄にした自分こそ、神様の期待外れの典型人間だったナァ。

「蜘蛛の糸」に学ぶ日韓関係のあり方

衛星放送のニュースを見ていて、思わず「どうした?韓国」と声が出た。

慰安婦20人が日本政府に賠償請求した裁判で、ソウル地裁が訴えを却下したのだ。

 

しかもその判決内容は、今までの日本政府の主張と瓜二つ。

いつも火病を発症し、すぐに発狂状態になる韓国を見てきたので、こんな冷静な判断をされると、逆に不安になってしまう。

 

同じ慰安婦裁判でも、1月の判決は韓国の本質がそのまま出ている内容だった。

日本政府に慰安婦への賠償だけでなく、裁判費用負担まで命じたのも、今回と同じソウル地裁だった。

裁判では「主権免除」が国際常識だから、絶対にありえない判決だ。

日本政府は完全無視を決め込み、控訴もしない。

その結果、国際法違反の判決が、韓国内で確定してしまった。

 

あの文在寅でさえ「正直言って戸惑っている」と言うような判決だ。

当然ながら日本が控訴するはずだから、このまま裁判を続けていれば日本に妥協を迫るチャンスがある。

そう考えていたはずの韓国政府も韓国司法も、すっかり当てが外れたに違いない。

しかしこのままあの判決が判例として残れば、韓国の国際的信用は壊滅する。

更に文在寅政権は、海外でも国内でも、外交も経済も完全に袋小路に嵌り、支持率が急降下してきた。

今迄文在寅政権に忖度しまくり、勝手な法解釈を繰り返してきた韓国司法も、事ここに及べば責任回避と失地回復を図るしかない。

そんな焦りが生み出したのが、今回のソウル地裁判決だろう。

 

その内容は、「韓国の世界遺産」に匹敵する慰安婦様の請求を却下しただけではない。

日本資産の差し押さえを認めず、日韓請求権協定も日韓慰安婦合意も、今も有効で韓国に遵守義務があるとまで踏み込んでいる。

あまりの路線変更なので、韓国民も呆気にとられているようだ。

いつもなら「親日判決を許さないぞ」と、大声で反対デモを仕出かすはずなのに、騒いだのは請求を却下され当てが外れた慰安婦のバサマ一人だけ。

全ての韓国マスコミは茫然自失で、不当判決への抗議すら発生しない。

コチトラだって、韓国で真面なことが起きるなど、想定外の枠の外のおハナシだ。

 

ところが日本のマスコミは、韓国に温かい。

僕の愛読紙・産経新聞すら、韓国の変遷変質を「会話再開のチャンス」ととらえ「文政権は正気に戻る時だ」と、今までの狂気じみた反日政策の変更を促している。

反日命の朝日新聞毎日新聞など読む気もないが、恐らくは産経新聞以上に「今こそ日本が大人の対応を」と興奮しているはずだ。

 

しかし相手は、韓国と韓国国民だ。

反日でしか生きていけない民族の集合体だ。

過去に何度も、経済で行き詰まり、諸外国から見放されると、途端に日本にとすり寄り取り入ることを恥と思わない連中だ。

そんな輩が、今回の判決一つで、真人間になることはあり得ない。

 

現に福島原発の処理水海洋放出については、韓国では大反対運動が巻き起こり、頭を丸めて抗議する女子高生の集団まで現れている。

ソウル大使館、釜山領事館前には「海を守れ」とデモ隊が押しかける。

自国が原発排水を海洋放出している事実はまるで無視し、日本に当たり散らすことを自己矛盾とすら思わない。

菅義偉首相が靖国神社に真榊を奉納すると、直ちに「遺憾だ」とイチャモンをつける。

韓国の本質は、1ミリだに変わっていない。

苦しいから、八方塞がりだから、日本にすり寄っているだけだ。

 

今回の韓国の行状を見て、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出した。

ある日、お釈迦さまは極楽の蓮池のほとりを散歩していた。

はるか下には地獄があり、犍陀多という男が血の池でもがいているのが見える。

犍陀多は生前、殺人や放火など、多くの凶悪な罪を犯した大泥棒であった。

しかしそんな彼でも一度だけ良いことをしていた。

道ばたの小さな蜘蛛の命を思いやり、踏み殺さずに助けてやったのだ。

血の池で溺れていた犍陀多が顔を上げると、一筋の銀色の糸がするすると垂れてきた。

これで地獄から抜け出せると思った彼は、その蜘蛛の糸を掴んで一所懸命に上へ上へと登った。

地獄と極楽との間にはとてつもない距離があるため、登ることに疲れた犍陀多は糸の途中にぶらさがって休憩していた。

しかし下を見ると、まっ暗な血の池から這い上がり蜘蛛の糸にしがみついた何百、何千という罪人が、行列になって近づいてくる。

このままでは重みに耐えきれずに蜘蛛の糸が切れてしまうと考えた犍陀多は、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸はおれのものだぞ。下りろ。下りろ」と大声で叫んだ。

すると突然、蜘蛛の糸は犍陀多がいる部分でぷつりと切れてしまい、彼は罪人たちといっしょに暗闇へと、まっさかさまに落ちていった。

この一部始終を上から見ていたお釈迦さまは、悲しそうな顔をして蓮池を立ち去った。

 

国司法が初めて、国際的に通用する判決を下したからと言って、韓国の本質が変わる訳はない。

喉元過ぎればまたすぐに、反日命・反日無罪の国家に戻る。

その時に「また裏切られた」ろ、お釈迦様と同じ「悲しそうな顔」をしても、失った日本の国益は戻ってこない。

 

いくら韓国に哀れを請われても、日本の取るべき道は非韓三原則を徹底するしかない。

今から100年以上も前の1918年、天才作家・芥川忠之助は日韓関係の今日を予感していた。